どうしても眠れなくなるのは、たぶんこの想いのせい。
重くて、重くて、苦しくて身動きのとれない想いを抱える一人の夜に、潰されそうになってしまうせい。



MAZE





寝返りをうつと、シーツのすれる音が耳触りで眉間にしわが寄った。タンクトップからむき出しの機械の腕がきちり、と
些細な雑音を耳にもたらす。鬱陶しさに身動きをやめて、暗闇に目をパチリと開いた。そのままじっと自分の呼吸音だ
けを頼りに、周りの気配を追う。

かしゃん、と、隣の部屋から聞こえた小さな音に、エドワードはやっとひとつ瞬きした。鎧の立てるささやかな音が、眠
るはずの兄への気遣いにあふれていて、思わず苦笑する。
ゆっくり起き上がって閉ざされたままの扉を見つめる。光が漏れていないからおそらく、隣の部屋も光をつけないまま
なのだろう。今、鎧の弟はこの部屋からは反対側の廊下に続くドアの前に立っている。



冴えた頭がその存在をたどる。
お前は今、どこにいるのかと。
だってしょうがない。その存在がなければ多分
今ここに在る、自身の存在でさえきっと酷薄だ。



ベッドの上で膝を抱えて、目を閉じた。
しんとした、どこか冴えた空気がひそかに振動して、アルフォンスが隣の扉を開けて、外に出ようとしていること知る。

「アル。」

魂にそっと呼びかけるような小さな声を出したはずなのに、発された声は場違いなほど大きなものだった。無遠慮な
自分の声音に少しだけ、心臓が大きく脈打つ。
「・・・兄さん?」
扉一枚隔てて、囁くような小さな声が返ってきた。寝言なのか、起きているのか確かめるだけの、弱い声。
「・・・どこに行く?」
ほんの少しの間を置いて、ベッドのある部屋にアルフォンスが近づいてくるのがわかる。

また心臓が強く打つ。
また身動きが取れなくなる。
腰かけたままのベッドのシーツを強く握った。

かしゃんかしゃん、と音が響いて、静かな夜が遠のいていくのを感じ取る。
小さな音を立てて開いた扉の隙間から、鎧が覗き込む。ほおっておけばそれは恐ろしいはずの風景に違いない。違
いないのに、ほのかな光を漏らしてこちらを覗き込んでいる鎧に、今すぐ触れたいと、声を聞きたいと思う自分がい
る。

「眠れないの?」
「ん・・・。アル、どっか行くのか」
ベッドからするりと抜け出すと、ふわり外の冷気に包まれた。裸足に冷たい床が触れて、多分この温度は、向かい合
う鎧の温度と同じなのだと、しっかりと踏みしめて少しでも吸収しようとする。

「散歩に行こうかと思ってて」
「俺も行く」
「やっぱり眠れないんだ」
「ああ。ちょっと頭が冴えてる。」

いつも着ている紅いコートを羽織ると、慣れてきたのか外気の温度も気にならなくなった。ブーツを履く自分を見つめ
ている弟に、微笑みかける。
「たまには、な。」

行こうぜ、というと、アルフォンスはうん、と答えた。

街の輪郭を示すのはただ街燈だけで、人がいるのかさえ朧げだ。昼間よりも視界が狭まる。エドワードは何度か、瞬
きをしながら周りを見渡した。

右側から、何時も在る鎧のきしむ音。
呼吸のようだといつも思う。
弟が、動く音、きしむ音。
生きている証

五感を耳に集中して、夜の街に響く弟の鼓動を感じようとする。いつもは聞き取れない、アルフォンスの頭を動かす音
や振り向くときに接合部分がきしむ音がはっきりと静寂の中に零れだしてくる。
「いた」
「ん?」
アルフォンスの体がかしゃりと音を立てて止まったから慌ててエドワードも立ち止まった。
かしゃんかしゃんかしゃ・・・
アルフォンスは立ち止ったエドワードを放って、道端を見降ろした。
暗くてよく見えなかったのに、そこには黒い・・・猫が。
「アル・・・」
「兄さん!」
エドワードの声音を先回りして汲み取り、アルフォンスはがばりとエドワードに振り返った。両拳を強く握ってエドワー
ドを説得にかかる。
「連れて帰ろうとしてるわけじゃないんだよ、でもここにはもう一週間も滞在してるでしょ、散歩してるといつも同じ場所
にいる猫がすり寄ってきてね。ほら見てこんなに小さくて可愛いのに捨てられてたんだ!ボクだって根無し草のボク
達が猫を飼えるなんて思ってない!でも放っておけないんだ!!」
「・・・」
言葉を区切ってエドワードの様子をうかがったアルフォンスにタイミングよく、黒ネコがみゃあと鳴いた。ああ、よしよし
とかがんで、まるで母猫のように子猫に話しかけ、大きな鎧から牛乳のビンを取り出したから、エドワードは驚いた。
「アル・・・お前どこから何を出してんだ」
「本当は、毎朝ミルクが付いてるんだよ、あそこの宿。兄さん知らないだろ」
「げ」
「毎朝隠してるんだよ。牛乳見ると不機嫌になるだろ兄さん。特に朝は」
へへ、と笑った声が金属に反響して柔らかく響く。エドワードはつられて目を細めた。夜の底にいるのに、この暖かさ
はなんだろう。失われてそれでも透き通る、この存在は・・・
ぼんやりとつったって、子猫にミルクを与えるアルフォンスの背中を見つめた。
今度はどこから取り出したのか金属の腕の中に、タオルを載せてから子猫をそっと箱から抱きかかえようとしている。
「じゃあ俺が牛乳飲まないお陰でそいつは助かってるんだな」
「いい方次第だよね、何事も」
「物事をポジテイブに捉えろ、弟よ」
微かに、鎧が揺れた。

ああ、今弟が微笑んでいる。

「まあ本当に、ちょうどいいね。兄さんが飲まない分、この子たちの栄養になるんだから。・・・一挙両得?」
「それは違うだろ。」
笑ったら、自分の内側から暖かい空気が漏れて、はじけたような感覚に囚われた。ああ、今自分は癒されている。救
われている・・・溢れている。
アルフォンスの隣にかがんで子猫を見つめた。アルフォンスがタオルに包んだ子猫を差し出してきたから、何気なく撫
でた。
腕の中の子猫を、アルフォンスは撫でない。エドワードは自分が何気なく子猫に伸ばした手が左手であることに気づ
いて、アルフォンスの顔をふっと見た。子猫をなでるエドワードと撫でられる仔猫を、うれしそうに見下ろす気配。小さく
「よかったね」と子猫に語りかけてから、首を傾げた。
手を離すと、もっと触って、と柔らかい声がする。アルフォンスは猫に触れようともせずにエドワードを見つめ返してい
た。首をかしげて少し笑う。

「もうだいぶん寒くなってきたろ。ボクは、そろそろ触れないから」
「俺だってそんなあったかいわけじゃないぞ」
「でも、自分の温度を知ってる」

言葉を失った。咄嗟に猫に視線を戻して、撫でる掌を動かす。
瞳が熱を持って唇が震える。

ミルクを与えるとタオルの中で眠ってしまった子猫を、そっと路地に返してから二人は歩いた。
普段は汚れて見え無い星ぼしが、今日は降ってきそうなほど瞬いてもしかしてこれは夢なんじゃないかと疑ってしま
う。
耳元に聞こえるのは金属のこすれる音だけで、たまにぽつりぽつりと優しい声がする。
居心地のよさに足がふわりと歩いている疲労を失って、現実感を失ってしまう。星空を見上げて、周りを見渡して、弟
を見上げて、ついにエドワードはすぐそばにある弟の掌を握り込んだ。

黒い大きな革の手に自分の掌を合わせると、革と鋼がこすれるぎゅっ、という音がした。

アルフォンスは突然つながれた掌にちょっと驚いて、兄と繋がる自分の左手を見降ろし、それからエドワードの顔を見
た。
「手。つなごうぜ」
アルフォンスは何も言わなかった。ただ、ちょっと気配だけで笑ったようだった。
それからゆっくりと空を見上げてわあ、すごいと声を上げる。
「知らなかった。セントラルでも星が見えるんだね」
「ん」
視界に、一面の星空とその星空の光を浴びる鎧が居る。耳には、鉄がこすれるひそやかな音と、自分の立てる足音
と。
まるで世界に二人しかいないと思い込めてしまうような。
つないだ手を、力を入れて強く握ったが、アルフォンスは気づかない。




温度のある体を、弾力のある感覚を、誰よりもこの弟に捧げたいのに。
なのにどうしても恐れてしまう、ここにこうしてつなぎとめている優しい魂が、鉄の檻から抜け出してどこかへ行ってし
まうんじゃないかと。





柔らかな檻の中にいる。
何よりも簡素で優しい檻の中に。
なのに、その檻は凄惨なほど強固なのだ。















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