現代兄弟








校舎の向こうから、手を振る人がいる。

軽やかに走ってくる姿はちょっと一枚の絵のようで、アルフォンスは荷物を持っていない手を少し上げて、手を振り返
しながら思わず目を細める。
遠くに立っていたその人は驚くほど速い足取りで、アルフォンスに近づいてきた。

「よお。アル。帰るのか?」
「ハボックさん、こんにちは。」
挨拶をして笑ったら、笑いかえしてアルフォンスをなでてくる。
大きな掌。運動も得意だし、筋力もずいぶん付いてきたとは言っても、この人が持っているようなしっかりした体躯と
は、自分の体はあまりにかけ離れてしまった。

「途中まで一緒に帰ろうぜ」
「そうですね」
「今日は練習しないんですか」
「テスト休みだよ。息抜きはやっぱ必要だよな。本当は息抜きなんてやってる場合じゃねえんだけど」
あー、たばこ吸いてえ・・・と呟いたから、アルフォンスはちょっと驚いて、でもすぐに声を立てて笑った。
ハボックは同級生だが年齢が違う。高校に入る少し前に下半身に障害が起こり、入学が随分遅れてしまったのとい
うのは本人と親しくなってから知ったことだ。

「今日はおにいさま、は?一人なんて珍しいな」
「さあ。帰る頃に姿が見えなかったので」
ふうん。といってガムを取り出す。口がさびしいらしい。
「アルさあ。勉強教えてくれよ。俺化学苦手なんだよな。」
ふと見てきたハボックの視線がアルフォンスの頬の一点で止まる。

「傷・・・やっぱり残ったな」

そういって、そっと頬に触れたから、兄さんみたいだな、とアルフォンスは人知れず苦笑いした。




ハボックとの出会いは、比較的衝撃的なものだったと思う。
今でもエドワードはハボックのことをよく思っていないし、二人で歩いているところを見られたりすると子供のように、あ
るいは頑固な父親のようにすねたり怒ったりする。





それはいつもの昼休みだった。
何の用事があったのかはもう覚えていない。多分図書館に向かっていたんじゃないかと思う。
廊下の向こう側から、図書委員のシェスカが歩いてくるのが見える。本を手に持って、アルフォンスを見つけると朗ら
かにほほ笑んで、少し歩を速めた。
アルフォンスも微笑みかける。読書好きな少女は、図書館の司書のような役割を進んでこなしていて、やはり読書が
好きなアルフォンスとよく話が合う。
昼休みの校庭からは遊ぶ学生の声が遠く響いてくる。心持西向きの日差しが、柔らかく窓から差し込んできている。
右側には教室が、その光を反射している。
学生たちのはしゃぐ話し声。

一瞬だった。
寄ってくるシェスカの左側の窓に、きらりと影がかすめたのを見た気がして、アルフォンスは思わず叫んだ。
「シェスカ!危ない!!」
咄嗟に走り寄る。三歩の距離を一歩で詰めて、戸惑うシェスカを抱きしめた。

ガラスが砕ける音、同時に、伏せたアルフォンスの頭に、がつっ、という鋭い衝撃と痛みが走る。
ガラスが廊下に飛び散る。その中に、ぽん、ころころ・・・と球が転がるような音がしたから、窓から飛び込んできたの
はボールだったのかと頭を伏せたまま冷静に考えた。


昼休みの長閑な廊下が一気に喧噪を含んで大騒ぎになった。
足元には散らばった本とガラスの破片。

「・・・シェスカ、大丈夫?」
「うん・・・」
混乱しきった瞳が揺れている。ゆっくりと状況を確認するように挙げられた視線は、アルフォンスの顔に張り付けられ
た。

「!アルフォンス君、血が出てる・・・!」

シェスカの手が左の頬を掠めて、自分がガラスの破片で頬を切っていることに気付いた。少女の手が汚れないよう
に、穏やかな手つきで伸ばされた手を押しとどめる。
「痛みはないし、大丈夫だよ。シェスカはけがはない?危なかったね。破片、しっかり払った方がいいよ。」
顔を傾けて覗き込むと、眼鏡の奥のやさしい瞳は不安とショックで泣き出しそうに曇っている。


「悪い!!!大丈夫かっ!」
そうしてかけてきたのが、ハボックだった。
制服の上着を脱いで、左手に野球のグローブを持っている。息を切らして走ってきて、人だかりの中に立ちすくむ、ガ
ラスの破片だらけの二人を見つけると一気に顔色を失った。

「大丈夫か、怪我ないか」

アルフォンスは、振り返ってシェスカを見た。パンパンと自身の体を払う少女は問題なさそうだ。
ハボックは、二人に頭を下げ、それから慌てたように散らばったままの本を集め出した。どうやら話によると、キャッチ
ボールの途中だったという。あの球を投げたのはハボックではないらしい。投げた人物も、今来てるから、と焦った口
調でまた謝ってくる。

シェスカと顔を見合わせる。事故ならば仕方ない、といいたそうに笑んだ彼女を確認して「大丈夫ですよ」と言おうとし
た。
その時

「アル!」
と叫びながら、すごい勢いで走ってきた人物が一人。雑踏に埋もれながらもそれらを見事にかきわけ、弟のもとに駆
けつける。
「兄さん」
「大丈夫か!」
言うが早いか、がしっとアルフォンスの両肩を掴んでくる。傷の入った頬よりよほどその掴んでくる手の方が痛くて、ア
ルフォンスは表情をひきつらせた。
エドワードの表情が凍りつく。視線が頬にくぎ付けになっている。
「大丈夫だよ」とほほ笑んだのに、そのほほ笑みも言葉も見事に、兄に無視された。
強い力で掴まれていた腕が外される。


振りかえりざま、本を拾っていたハボックの肩を掴んだ。
アルフォンスが声を発しようとした、そのとき、鈍い音が廊下に響く、集まっていた野次馬がどよめいた。
「お前か・・・!!!!」
「ちょ、兄さん!なんで殴るんだよ!!!」
「お前も自分の身くらい自分で守れ!」
と、シェスカにまで怒鳴ったから、アルフォンスはもう呆れるというより何より腹がたった。
それに、やっと球を投げた張本人まで走ってきて加わって、アルフォンスとシェスカに謝り倒したものだから、場はもの
すごい大混乱。

張本人には二発は殴らないと気が済まない、という兄と
それを必死に止める、日頃は温厚なのに逆上してしまったアルフォンス。
もはや泣き出してしまったシェスカに、恐縮してしまって、殴ってくれて結構だと謝る、球を投げた張本人と、ハボック
と。

結局、すぐに駆け付けた先生陣にその場はおさめられたのだ。


その後、茶室に謝罪に訪れたハボックと話が弾んで、今では随分距離の近い友人になった。



「また、茶室行くからな。」
「待ってます」
駅を曲がったところで別れる。
背の高い後姿を見送って、家に入った。お互い少しだけ遠回りした入学を経験したからかもしれないが、ハボックのよ
うな友人がいることが本当はひどく救われる。他人のようには思われなくて、もうひとり、兄がいたらちょうどこんな感
じかな、とまたほほ笑んだ。













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