「ここに」続き







かつかつと、自分の靴音がうるさい。音を小さくしようと慎重に歩いたら、ひらひらとした布に足元を取られた。
「わ・・・」
思わず、口元を押さえる。左手に手を添えていた兄が、傾いた体を支えてくれた。
「あり・・・」
言葉を飲み込む。今日は極力、声を発したくない。


自分がアルフォンス・エルリックだということを、隠し通さなければならないから。


「大丈夫か?」
お礼を言う前に、兄は心配して顔を覗き込んできた。
アルフォンスはこっくりとうなずく。そのせいで長い茶色い髪が視界の端にさっきから入ってきて、我ながら煩わしい。
エドワードは、弟の気も知らずににんまりにこにこ。だんだん、憎たらしくなってくる。

「・・・」
「なんだよ、そんなににらむなよ。」

髪の毛撫でないで。
手のひらも、そんなにぎゅっと握らなくていいから。

「アルは本当にかわいいな。女装しててもすげえかわいい。」
大きな声で言うな、馬鹿兄!
ぺしんと頭をたたいたのに、エドワードはそれでもにんまりと相好をくずしたままだ。
アルフォンスはスカートの裾を心持持ち上げる。自然とため息がこぼれた。
女性の衣裳ってすごくうざったい。
おまけにお化粧は気持ち悪い。
どうしてこんなことになったんだろう。階段の下でひと目を避けて休憩していたところを、目ざとい兄に発見された。
アルフォンスが着ていたタキシードはシェスカが持っているはずだから、と兄が探しに行こうとしたのに付いて、階段
の下から出たまではよかったのだ。
シェスカの同僚に尋ねたら、シェスカは急に仕事が入って、今はちょっと手が離せないのだという。会が終わるまでに
は帰ってくる、というから、じゃあ待っていようということになった。まさか、この恰好のまま家まで帰るわけにはいかな
い。
このパーティの間だけ、と決めてから兄は急ににこやかになった。
にこにこにやにや、アルフォンスを眺めている。

家に帰りたくなって、ホールの出口を困ったような顔で見つめた。エドワードがすぐにそれに気づいて、「今日だけだ
ろ。もう少しで終わるからさ」とかなんとか。陽気に笑っている。
きっとにらむと、エドワードは何を思ったのか急に真顔になった。

「アル。絶対最後の一曲、踊ってから帰ろうな」

まったく、本当に頭が痛い。この兄は。

会場のはじに二人で立っていた。最後の曲まであと三曲だとエドワードがどこかから聞きつけて来る。
「まだ時間あるな!」と鼻息荒いエドワードのその余裕が、今は少しだけ自分にも欲しい。

「飲み物持ってくるな、そこで待ってろよ。」
こくりとうなずくとまたエドワードはにかっと笑って、おまけに頭をなでてきた。完全に甘やかされている。
何歩か離れてから、エドワードはくるりとアルフォンスに向き直った。
ずんずんと戻ってきたと思ったら、大きな声で一言、

「変な男に声かけられたら、完全無視しろよ。悪い虫は俺がぶっ飛ばす」
いいな、わかったかアルフォンス

・・・名前、呼ばないでよ・・

今は声を出せない。とりあえず呆れて苦笑を投げかけたのに、エドワードは真顔のまま立ち去っていた。遠くからでも
気合いを入れたように肩をいからしている。
アルフォンスは溜息をついて、あと三曲と言っていたうちの一曲が演奏し終えるところを黙って聞いていた。

美しい、ピアノの調べが演奏の終わりを知らせる。演奏者が立ちあがってした礼に拍手を送った
そのとき、背後からその声はかかった。


「御嬢さんは、一人かな?」

ああ、この声。できれば振り向きたくない。


聞かなかったことにして振り向かずにいると、わざわざアルフォンスの正面まで回りこんでくる。
視線を上げればそこにはやはり、兄の上司がいた。黒髪に黒いスーツがよく映える。いつもは降ろしている前髪を上
げるとやはり随分若やいで、冴えた雰囲気をもたらしている。
まさか、誰もこの人がひとまわり近くも年下の部下に無能などと呼ばれているとは思うまい。

「こんにちは。誰か、待っているのかな?」
「・・・・」
こっくりと深くうなずく。ふわふわとした髪の毛が、大げさに流れる。アルフォンスはあわてて右手で髪の毛を肩の後ろ
に流した。

「お嬢さんは初めて見る顔だね。どうかな、私と一曲踊るというのは」

初めて見たお嬢さんとは、一曲踊るんですか、大佐。

瞬きを何度かして、マスタング大佐を見つめた。睫が長くなっているから、瞼すらなんだか重く感じる。
それから苦笑して手のひらを相手に見せてひらひらと振る。やんわりと断っているつもりだ。

「まあ、そう言わず。」
「!」

ひらひらと振っていた手を握られて、自然椅子から腰が浮いた。
うまい具合にマスタングが二三歩ひいたら、アルフォンスはそれに引かれて席を立つ。
「ワルツは踊れるかね。」
ぶんぶんと首を横に振る。目をくるくるさせていると、相手は可笑しそうに目を細めた。
「これはこれは。エスコートし甲斐のある。」
アルフォンスは、さらにぶんぶんと首を振ってすこしだけ距離をとった。マスタング大佐のこの強引さが、女性を惹きつ
けてやまないのだろうか、だとしても・・・
腰をぐい、と強く引かれて、汗がぶわっと噴き出した。鳥肌も立っているに違いない。
批難の目を向けて見上げれば、冷ややかでクールと評判な黒い瞳は、故意に逸らされてこれから演奏を始める楽団
に向けられた。

「始まるね」
「あ、の・・・」

やっと吐きだした言葉が、楽器の音にかき消される。会場に流れはじめたスローリズムのロマンチックな曲調が、今
の自分にはひどく滑稽で、顔がゆであがるのを感じた。

足が、一歩こちらに差し出される。
アルフォンスはそれに従って一歩後退した。

するすると音楽が流れて、体は勝手にそれに合わせて動いた、いや動かされた。
見事なエスコート。こちらがリズムに遅れずに音楽に乗れるように、ほんの少しだけ、大佐は自身のタイミングを速め
ている。

ついそのエスコートのうまさに感心した。
初めて踊る女性には、こんな風に動けばいいのか、と。

根本にある重大な問題より、目の前にある、感心すべき事項に気が捕らわれてしまいがちなのは、自分でもよくない
癖だとわかっている。

流れに任せてくるくると回ってしまった。スカートが見事にふんわりと舞って、髪の毛も軽やかに踊ったから逆に恥ず
かしくなってしまう。
「やあ、なんだか私たちは相性がいいようだね。君は運動神経がいいのかな。」
紳士なほほ笑みが近い。自分の今置かれている状況を考えると、恥ずかしさとみじめさでぐるぐるしたような気持ちに
なった。
顔が相当赤くなっているはずだ。ただ首をぶんぶん振って、早くこの曲が終わればいいのに、と痛切に願うしかない。
曲の途中でパートナーを振り切って逃げるなんて、逆にどこかのおとぎ話のようで、自分の存在がひきたつばかり
だ。

だが、その時。もっとアルフォンスの存在をひきたたせるものが、背後に。

「おい」

背筋を悪寒が走る。しまった、すっかり忘れていた。

がばっと振り返ると、やはり、エドワードが




すでに戦闘態勢に入っていた




「悪い虫はお前か!!!!!!!」
エドワードが叫ぶのと同時に、アルフォンスはぶん、とマスタングの腕を振り切った。おや、という声を背後に、必死で
上司に殴りかかる兄に抱きつく。
「・・・っ」
兄に、絶対に言葉を発させてはいけない。もちろん自分も。
お願いだから、わかって、兄さん!
という思いを込めて腕に力を込める。

「離せ、ア」

この、馬鹿兄は、本当に・・・!!!!

エドワードがすべてを言う前に、兄の顔を両方の手で掴んで、ぐいとこちらに向けた。慣れないヒールのついた靴のお
陰でそんなに背伸びせずとも兄の唇に自然に届く。
「んむっ・・・!」
首のまわりに腕を回す。もはや必死に、兄の顔に自分の顔を押し付ける自分が悲しい。
エドワードは、そのキスを受けるやいなや落ち着いたらしい、自分も腰に腕を回してきたのでアルフォンスの方が驚い
た。

背中で大きくため息の気配。
お前を待っていたのかと、エスコート上手な上司がつぶやいた。
「なんだ、鋼の。弟ばっかりかと思っていたが。」
「・・・・」
唇がふさがっているから、エドワードは返事を返さない。アルフォンスが焦って顔を離したら、エドワードは驚異の腕力
でアルフォンスを腕に閉じ込めたまま、小さく息を吐いてこれ以上ないほどの不機嫌な声で、上司に返事をした。

「・・・邪魔すんな。」

頭を抱えられて胸に押し付けられる。ちょっと呼吸が苦しくなるほど。

あーあー悪かったね、と悪びれない上司に、絞り出すような低い声を出した。
これはひどく不機嫌な時の声だ。
「それから、こいつには手ぇ出すな。金輪際。絶対に」

抱きしめた腕が緩んだと思って安心した矢先に、エドワードが強く腕を引く。
わあ・・・背中がものすごく怒ってる。
アルフォンスは、腕を引かれながらうつむいた。咄嗟の応対とは言っても、兄の唇を自分の唇でふさぐとは。

やるものだね、君も。という冷やかしが聞こえて、アルフォンスはこれ以上ないいたたまれない気持ちになった。
仮にも兄の大佐に対して、途中で逃げるなんて。失礼にもほどがある。
ああ、でも兄にはもっとひどいことをしてしまった。弟とキスをするなんて。しかも人前で。じょうしのまえで・・・


小さな、本当に小さな声で、前を行く背中に声をかけた。まわりに悟られないうように。
「ごめんね、兄さん。」
エドワードは振り向かなかった。
ただ揺れる金髪の合間から見える耳や首筋がひどく赤く染まっていて、兄が怒っているんだとアルフォンスは思っ
た。


最後の音楽が始まる。
照明が落とされる。
エドワードは何にも言わずに立ち止まると、くるりと振り返って、アルフォンスの腰をすっと引いた。

もう一度謝ろう。
と見上げたエドワードの顔は薄暗いながらに酷く真剣で、金色の瞳は揺れていて、腰を抱いている腕に力がこめられ
た。
エドワードに、首をかしげてほほ笑む。
ごめんね、と柔らかく微笑んだら、自然ちょっと困ったような顔になってしまう。

そうしたら、兄もちょっとほほ笑んで。

ピアノの第一音とともに、笑んだままのアルフォンスの薄い口元に、熱い唇を降らせた。












意外と長くなりました・・・
***

さらなるリクエストをいただきました・・・光栄です!!

「ここに 続き」の、続き。

「踊っているようなそうでないような兄弟」





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