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「大佐!」
軽やかな高い声と、公の場にも関わらず大声で自分をその名で呼ぶことで、相手が誰なのかなどわかっていた。
それでも地を蹴る小さな足音と、懸命に走る息使いがだんだんと近づいてくるから、楽しくなってしまった。
逆にすこしだけ歩調を速める。
「っ、たいさ!!」
コートの裾を弱く引かれる。歩を進めようと思えば進めるのだけれど、さすがに幼い息使いの荒さに罪悪感が込み上
げて振り返った。以前のように見上げようとして、はっと気付いて目線を下ろす自分に苦笑する。
コートの裾を追って相手を見つめると、膝に掌をついて息を荒く吐き出している。地面にうつむいているから紅く染まる
首筋が見えた。
二三度息を吐き出して、アルフォンスが体を起す。ぐいっと顎を上げて見上げてくる、目に光がくるりと挿す。いつもは
微笑している幼い顔は、今はすこし拗ねたように高揚して眉をひそめた。
「・・・にげ、ましたよね。いまっ・・・」
白い息がわっと空中に舞う。肩で息をする少年に、そんなに急くものではないと、また可笑しくなった。
「逃げてなどいないよ」
何気なく答えたつもりが、白くけぶる息の量で笑っていることに気付かれてしまったらしい。ちらりと睨んできたからこ
ほんと咳をひとつ。
「今日はどうしたんだ、もうそろそろ帰宅しないとあれがうるさい時間だろう」
また笑ってしまった。小さな子供が呼吸を懸命に整えながら大人の歩調に合わせて歩く姿は、一緒に歩いていても
ひどく愛らしい。
「きょうは、でーとですっ・・」
大きく吐く息の合間に思いもかけない言葉を漏らす。ちょっと驚いて、マスタングはまた笑った。
「デートか。相手は猫、とか言わないだろうな」
「違いますよ。兄さんとデートです」
「ほう」
つなぐ言葉を見つけられなくて、アルフォンスの首に巻きついているマフラーを見た。以前譲ったものとは違うものをき
っちりと巻きつけてあることにやっと気づく。
弟の話をするときの、ぎらりとした猛禽類のような瞳の青年を思い出す。
「・・・のはずだったんですけど。上司に急な仕事を押し付けられたそうで。般若のような顔をして出て行きました。今
から市場で一人で買い物です。」
「そう言えばものすごい不機嫌な声だったな。」
「おかげで荷物を持ってくれる人がいませんよ」
「荷物持ちか。」
二人で声を出して笑ったら、白い息があたりに舞った。そっとアルフォンスに視線を落とす。少年はどこから見てもま
だ幼く、ようやく頭が自分の胸のあたりに届くくらいだ。なんとなく金色のちょこんとした頭に掌を載せる。
買いもののための籠を抱えている。少年には不釣り合いなほど大きな籠を見て、言葉を吐いた。
「よかったら、私がお相手しようか」
「いえ、一人で大丈夫ですよ。ありがとうございます。」
そうか、と息を吐き出しながら答えた。手のひらを落としてマフラーに触れる。
「マフラーを買い直したんだな」
「あ、そうです。でも大佐からいただいたマフラーも使ってますよ」
ふ、と笑って掌を引く。
「あまり買いすぎないようにしなくてはな」
「はい、どのみちあまり買う気は無いんです」
じゃあ、と言って少年が歩き出した。歩く姿は凛々しいのに、その背中の小ささに心もとなくなる。
一歩歩む度にマフラーが揺れて、短い髪の毛がゆるゆると風に泳いだ。
三歩離れたときに、咄嗟に腕が伸びてアルフォンスの揺れる肩口を掴んだ。体のバランスを少しだけ崩した少年から
すぐに手を放して、自分の行為に驚く。
きょとんとして振り向くアルフォンスと目があって、マスタングは視線を外した。
「はい?」
「・・・いや、」
掌を口元にあてがって思案するふりをした。実際には何も考えられていない。
「やはり、私も行こう」
「大佐?」
「荷物が大変だろう」
「いえ・・・あの」
探るような瞳が見上げてきた。不安や混乱を湛えた金の目が揺れ、ぽかりと開けた口をすこしだけ閉めている。
「どうかしたんですか?」
「なんでもないんだ。ただ君は以前のような頼もしい鎧の姿ではないから・・・心配になる」
守りたいんだ。
その言葉を言えない自分がいる。
それは軍人として、当然のはずなのに。
人を守ることが仕事であり、また信念であるはずだ。だが今、それを言えずにいる、この少年を前にして。
「アルフォンス」
「はい」
「・・・君を」
「はい」
「・・・君を、抱き締めてみていいだろうか」
「はい?」
答えを待たずに腕をひきよせて抱きしめた。今度は以前よりも強く、腕に閉じ込めた。髪の毛から、少年のさっぱりと
した匂いがする。気配がする。
小さくて心もとなくそして誰よりも求められている存在の気配。
アルフォンスは短く息を吐いて可笑しそうに笑ったようだった。
「大佐は最近人恋しいんですね、きっと」
溜息をつきながら、それでも抵抗はしない。
マスタングもかろうじて笑って、焦る自分をなだめようとした。
「子供は体温が高いから・・・」
それ以上何も言えずに言葉を区切る。
少年の着る上着の上から、アルフォンスの体温を掌で感じようとする。言葉を発さずに目を閉じ耳を澄ますと、公園を
吹き抜ける風の音と幼い息使い、鼓動の音さえも聞こえてくるような気がする。
「君は、人間だな・・・」
「・・・・・・」
「ちゃんとした、人間だ。こんなにも暖かくて柔らかい。そしてこんなにも愛され、守られている」
必死に懸命に・・・執拗に。
「だがひどく心もとない」
「大佐。」
腕の中の小さな存在が身じろぎしたから、腕の力を少しだけ緩めて解放してやる。金髪の頭はもぞりと動いて、戸惑
った瞳がまた見上げてきた。それでもその金を少し細めて、微笑んでくれる。
「大丈夫ですよ、」
小さな口は続けて何かを言おうとして言葉を区切る。すぐに何歩か後ずさって、マスタングから離れた。
小さく「ありがとうございます」と呟いた。
「買いものは一人でも大丈夫です。大佐は仕事をされてください。」
兄さんを早く返してくれると助かります。
困ったように苦笑して、じゃあ、と踵を返す。
「アルフォンス!」
その背中に大きな声を掛けた。少年はやさしい眼をして振り返ってくれた。
そうだ、恐らく、
こうしてすべてを許して受け止めてなお、不安の渦の中にいる、この少年を・・・
「気をつけて帰るんだぞ。」
やっと吐いた自分のセリフに、まるで父親のようだと呆れてしまう。
その声に少年はほほ笑んだようで、小首を傾げたが、その表情はもう逆光になって見えなかった。
9へ
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