君を呼べる黄昏

(八)







人の気配を感じて、振り返る。
戸口の所に確かにその人は佇んでいた。
何か幻を見ているな、そんな錯覚を覚える。カインが確かめるように何度か瞬きをすると、その顔に柔らかく青年は笑
った。
それは以前のような快活、といえる力を持ってはいなかったけれど。

「アルフォンス君・・・」
名前を呼んでみる。青年は小さくお辞儀をした。
そこに確かにいるはずなのに、まるで存在感が希薄だ。青年の来訪は唐突すぎて、現実感を持つには時間がかかっ
た。
「・・・先生。」
とだけ、こぼした。

あの雨の日に立ちすくんでいた場所とおんなじ位置に、おんなじ姿勢で立っているからだろうか。
アルフォンスがひどく遠い存在のように思える。
カインは、足もとから血の気が引いていくような気がした。
今、どうしても。アルフォンス青年を引きとめなければならない。

――――――すり減った、魂は・・・


「時間が・・・ないんです。今日、兄が倒れてしまって・・・・眠ってる間に・・・先生に」
アルフォンスはそこで言葉を区切った。カインはその先を聞きたくなどなかったから、立ちすくんで青年を見つめてい
た。
腕に、また猫。
「アルフォンス君。まあ、座ってくれ。落ち着いて話をしよう。最近はひどく根をつめて研究をしているんじゃないかな、
それで体調を崩してしまっては元も子もないよ。」
さあ。猫にミルクも出すから。また拾ってきたんだろう。いいよ、一匹も二匹も変わらない。

アルフォンスは嬉しそうにほほ笑んで、腕の中の猫に目を落とす。ちょっとなでたら、猫は気持ちよさそうに伸びをして
小さく鳴いた。

「先生に、お別れを言いにきました」
冷蔵庫から、ミルクを取り出す。青年の言葉は滑り落ちるにはあまりにも自然で、なんだかそれがしょうがないような
気さえしてしまって、カインは途方に暮れた。
言葉を失って、さらにミルクを注ぐ。お別れという言葉が頭の中をぐるぐる回って、ミルクを持つ手が震えた。
「それは・・・お別れというのは、あの人体錬成と関係があるのかな」

震えたせいで、皿からミルクがそれた。机に零れたミルクを、舌打ちしたいような歯噛みしたいような気持で見つめ
る。

「君は…なにをしようとしている?何と引き換えに、誰の腕を戻すんだ・・・?。」
青年はカイン・ザックを目もそらさずに見つめた。
ああ、そんな目で見ないでくれとカインは目を閉じた。透き通るような、すぐに消えてしまいそうなそんな視線は哀しい
だけで、別れを告げているようでひどく恐ろしい。

「・・・・・・ボクの魂と、兄の右腕は等価のはずなんです。」
カインの喉から、無意識にああ、と小さな声が漏れた。

やめてくれ

「ボクには以前、精神も肉体もなかった。このすり減って消費されてしまった魂が、まだ兄の腕と等価なのか、不安で
した。だから先生に」
「君の魂は、少しも失われてなんかいない!」

机を拳で叩く。青年は黙った。そこでやっとカインは青年と視線をあわせることができた。

「失われているはずがないだろう。君はしっかりとした意思を持ったひとりの人間じゃないか。よく笑うし、よく話すし、
そうだ、一緒によく食べた。明るくて、前向きで。そんな、きれいな、きれいな魂が・・・・・・」
そこで区切って、目を開く。青年は変わらずに戸口に立ったまま、今度は目を伏せた。
ああ。あの時のような明らかで朗らかな存在感はどこに行ったのだろう。
今はただ、強い光が通り過ぎたあとに残る残像のように、この青年はひっそりと曖昧に佇んでいる。

「ちょっと待ってくれ・・・」
「もうすぐ、すり減ってなくなってしまう・・・・」




――――最初に消費されるべき精神も肉体ももたず、魂だけしかなかったとしたら・・

――――それは君、生きているとは――――





「やめろ…」
その想像が脳裏をかすめたとき、カインは絶句した。
「バカな真似はやめるんだ。君の魂を代価にできるものなんて無い。」
目の前の青年の表情が泣きそうにゆがんで、それでも笑った。


アルフォンス・エルリックが、消える。


「・・・君を失って、喜ぶものなど誰一人いないっ・・・!!」
自分が今までに出したこともないような声が出たことに驚く。青年は微笑をやめていて、腕の中にいた猫はその声に
驚いて、青年の腕から降りてしまっている。
「行かなくちゃ」そう呟いた。
「待ってくれ!!」
叫んで、去りゆく青年の腕を掴む。
「待ってくれ、アルフォンス君!!!君は失われるべきじゃない!」
アルフォンスは、振り向かなかった。ただカインの握った腕を抑えるように、反対の手で触れてきた。その腕が、震え
ている。

違う、震えているのではなく、痙攣しているのだ。体が正常に機能しないのか。


混乱する思考がかすめる。カインは血の気を失った
「待ってくれ、頼む。そうだ、いくつか人体錬成について書かれた文献がある!それを、今、だしてくるから・・・・」
アルフォンスの震える手が、懸命にカインの腕をほどこうとしている、その懸命さにカインは負けて、手をひいた。
「時間が、ない・・・。」
零れおちるように、言葉が吐かれて、そうして青年は重たげに扉を開けた。
猫が一度だけ、その背中にみゃあ、と鳴いた。

猫の発したさびしい声音に、カインはほとんど我を失って猫を振り返る。
ギ、という短い音、はっとしてアルフォンスがいたはずの戸口を見た。

「ア・・・・!!!!」

もう、扉は閉じられていた。

猫も二度は鳴かなかった。













































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