光満ちる暁








病んでいる。


そう思い始めたのはいつごろだっただろう。
いつか幼馴染が言った言葉を、今では痛いほどに実感してしまっている。
荷物を両手に抱えて、大きな通りを駆けるように歩く。
腕時計を覗き込んでから、アルフォンスは赤に変わった信号を見上げてため息をついた。

以前とは比べようもないほどしっかりした体つきになったのに。こんなに大きな荷物も、ひとりで抱えられるようになっ
た。エドワードは頑なに拒むけれど、今なら組手をしたって兄にひけを取らないだろう。


――――少し遅くなったな。

そう思ったら、家に残してきた兄のことが心配で仕方なくなった。





ドアを開ける。外は薄暗いのに、電気一つ付いていないことに顔をしかめる。
「兄さん・・・?」
家の中を見回す。探していた人は、窓のカーテンの下にやはりうずくまっていた。カーテンは引き裂かれている。

ああ。
荒い息を整えて、できるだけ穏やかな呼吸に戻す。声をかけなければならないが、それには少し覚悟が必要だ。

「兄さん、ただいま」
「・・・・。」
「遅くなってごめんね」
「夢、見た」
と、エドワードは窓を見つめながら呟いた。右手で、強くカーテンを握り締めている。
「・・・どんな?」
エドワードは返事をしなかった。
内容などわかりきっているのに、つい聞いてしまう。沈んでいる時には声を掛けてあげた方がいいのだと誰かが言っ
ていた。


アルフォンスの体が健康体に戻るに従って、どうしたことか兄は精神のバランスを失い始めた。
普段は以前のように快活で力強く、強気なのに、少しアルフォンスがそばを離れると、自分を見失ってしまうことがあ
る。

キッチンに荷物を置いて、兄がうずくまるリビングに歩を進める。リビングの大きな窓に掛けられた淡い緑色のカーテ
ンを選んだのはアルフォンスで、エドワードは気持ちが落ち込んでしまったときにその下でぼんやりすることが多い。
「どんな夢、見たの?」
声をかけた途端、エドワードは勢いよく振り向いて、飛びかかるようにアルフォンスを抱きしめてきた。腕の力が強く、
思わず少し呻いた。


「・・・・・・・・・・・・・・・どこにいってたんだよ」


気付かれないようにむせてから、アルフォンスは努めて穏やかに返事を返す。出かける時に必ず、目的地と帰宅時
間を告げるようにしているのに、弟の不在にどうしようもなく不安になると、エドワードはそれらを簡単に忘却した。
「買いものだよ。ポテトと人参を買ってきたから、ポテトサラダを作ろうか。シチューがいい?」
にっこりと笑うと、エドワードもちょっとほほ笑んだ。
「シチューがいいな。今日はちょっと冷えるから・・・」
「そうだね。ミルクもそろそろ悪くなるし」
誰かさんは飲まないから。
いたずらっぽく告げてから、立ち上がろうとした。穏やかに兄のからみつく腕を払おうとすると、更に力が込められる。

「にいさ・・・」


言葉がとどめられたのは、エドワードの唇がぶつかるようにアルフォンスの唇に触れてきたからだ。
首がのけぞって、少し痛い。だけどアルフォンスは兄の口づけを拒否しない。
何かの儀式のようだ、と思った。
体を失ったときから、繋がっていた兄弟だから、兄は弟が離れることが不安なのだろうと。だからその不安を拭う儀式
として、兄はこの口づけを必要としている。

口内のゆったりとした動きに、頭が回らなくなる。体が自分から離れていくような感覚がして、アルフォンスは兄の肩
に手を置いてやんわりと引き離した。
「夢、みた。」
二人の息は荒い。
「・・・だから、どんな。」
「お前のいない夢。」
世界が壊れる夢。

呟いて、兄は悲壮に嗤った。
『病んでる。あんたに』

幼馴染が放った言葉が唐突に脳裏をかすめた。背中が寒くなる。拘束を振り切ろうとしたアルフォンスは、それでも覆
いかぶさってくるエドワードの表情の上に、真っ青な絶望のようなものが降ってくるのをまざまざとみた。

視界が転換して、床にたたきつけられた。腕が足にしかれてひどく傷む。アルフォンスがエドワードを見上げるのと、
エドワードの両手がアルフォンスの頬を包むのは同時だった。

視界が、金色に染まる。なのに心が真っくらになっていくのはなぜだろう。

目の前の唇が、視界にさえ入らないほどに近づけられ、小さく途切れがちに言葉を吐いた。
「なあ。もう一回。鎧に戻そうぜ・・・もう・・・・離れないように。」
「っ」

繋がりを求めるように、口づけてくる。
呼吸の合間に、エドワードは何度も同じことをささやいた。





「だから。なあ、アルフォンス。もう一度俺だけのものになってくれよ」









トップへ
トップへ
戻る
戻る