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雨の日は、極力外に出ないようにしている。
「はい、すみません・・・今日はやっぱりやめておきます。」
何度か重ねて謝ってから、受話器を置いた。受話器を置く音がやけに冷たく廊下に響く。
電話の横にある窓に掛けられた、弱弱しい光の漏れるカーテンをちょっと引いて、空をのぞき見た。
やまない雨の湿った気配に溜息をつく。いつの間にか寝室から降りてきたらしい兄が、キッチンの前の廊下に立って
こちらを睨みつけている。
耳ざとく弟のそのため息を聞きつけて、自分はもっと深い溜息をついてきた。
「なんで断ったんだよ」
振りかえって、兄の表情を確認した、そこまで不機嫌な顔をしなくてもいいのに。
突き刺さる視線を無視し、あいまいな笑みを返してエドワードの前を通り過ぎる。
「だから。俺にかまわず行けって。」
「ホットココア、飲む?」
答えを待たずにキッチンへ急ぐ。オレのせいだろ、と憤慨する兄に「違うよ」とそこだけは強めの語調で返す。
「ボクが行くような気持ちになれないから行かないだけだよ。」
「ったく。楽しみにしてたんじゃなかったのかよ」
エドワードがまた、溜息をつく。やかんに水を入れながら、アルフォンスは諦めたように言葉を吐いた。
「いいんだ、振られたから。大佐も、休みの日はゆっくりしたいだろうしね。」
「あ?」
火をつけて、キッチンの真ん中に据えられたテーブルに寄りかかる。軽く眼を閉じて腕を組んだころ、エドワードもキッ
チンに入ってきた。
上半身は裸のままで、アルフォンスが風邪ひくよ、と上着をはずして渡そうとするとエドワードはそれを強い視線だけ
で押しとどめた。
差し出した上着を虚しくまた腕の中におさめる。
「今、振られたって言わなかったか」
「うん。」
「・・・・・・・・・いつ」
「きのう」
なんで自分よりも兄の方がショックな顔をしているのだろう。
アルフォンスはぱちくりと目を瞬かせて、兄の渋くゆがめられた顔を見つめた。
「好きですよ」
と、つい言葉が漏れたのだ。それは息を吐くよりも自然で、吸うよりももっと楽にすべり出てしまった。
場所はやはり軍部の書庫だった。
飲食厳禁だというのに、マスタング大佐はコーヒーの湯気の立ち上るカップを手に、本をぺらぺらと流し読みするアル
フォンスの向かいで、本棚に寄りかかっている。談話と称して長い休憩を取っていた。
なんの話題だったかよくは覚えていない。
ただその話の流れはごく自然なもので、アルフォンスに気持ちを告白させるには十分な雰囲気を持っていた。
切れ長の黒い眼は、間をおいて「ん?」と聞き返してくる。
さすがに自分でも驚いて、アルフォンスは口を閉ざした。向かい合う図書館の狭い空間では、表情がごまかせない。
気をそらすために、頭をかくと、あんまりな焦りっぷりに自分でも苦笑が漏れた。
別に、キスをしたいとか手を繋ぎたいとか、そんな具体的な願望があるわけじゃない。
ただ見つけるとひどく嬉しかったり、声をかけられるとほかの人には感じないような温かい気持ちになるだけだ。
「こんなのは、恋とは言えないのかなあ」
言葉がこぼれた。
恋をした相手が自分が鎧だったころ憧れていたような女の人では全くないことに、最初は戸惑ったけれど妙に納得も
した。人間として魅力がある人というのは、異性であっても同性であったとしても、人を惹きつけることなんて、ごくごく 自然なことじゃないか。
「好きです。」
黒い瞳が心持大きく開かれる。瞳に窓から注ぐ光がさして、ロイ・マスタングが驚いたことを知った。普段明るい部屋
でこんな表情を見たならばきっと笑ってしまう。
でも、アルフォンスには笑えなかった。
笑うには距離が近すぎる。湿った部屋の空気はとても密やかで、優しい雰囲気で、言葉はただその空気の中に無造
作に零れおちていくに任せられた。
短い沈黙が、すとんと落ちてくる。
アルフォンスはほほ笑んだ。それはその沈黙に溶けだしてしまうような笑顔で、緩やかに、瞳を細める。
「あなたが、好きです。」
やかんから、湯気が噴き出している。
「沸いてる」
立ちはだかって動かない兄をよけてガスコンロに向かい、火を止める。騒々しく湯気を吹くやかんをコンロから外すと、
やはり部屋は静寂に包まれた。
「・・・で、なんて?」
「なんにも。大佐はなんにも言わなかったから、謝ってそのまま帰ったよ。」
こぽこぽとマグカップに湯を注いでいく。
はい、と差し出されたカップには手を伸ばさずに、エドワードはアルフォンスを見つめた。
「なんでそんな平気そうなんだよ」
兄の言葉に首をかしげる。
こんなに平然としていることが本当に、自分でも不思議だ。
「さあ・・・」
受け取られないココアを、アルフォンスはあきらめて自分で口をつけた。温かく立ち上る湯気に少しだけ癒される。ま
だ、自分は実感できていないのかもしれない。恋とか、愛とか、想いとかそういうものに。
ふと兄を見上げると、ひどく顔をしかめている。
目をそらして、窓を見つめた。雨はだんだんひどくなって、今は部屋の中にまで音が響いている。
こんなに雨の強く降る日は、隠しているけど痛むんだよね、そう思って兄に視線を戻した。右腕の、肩の位置。
「・・・今日は、痛む?」
と言って右腕の機械鎧の継ぎ目にそっと触れると、違う・・・というあいまいな返事が返ってきて、手を振りほどかれ
た。
「お湯があるから、蒸しタオル当てようか。」
エドワードは、ちょっと顔を伏せて、それから強引にさっき退けたジャケットを弟から奪って羽織った。ついでにアルフォ
ンスが飲んでいたココアも受けとって、どかどかとリビングに向かう。
雨の日は、極力外に出ないようにしている。
それは二人が体を元に戻す旅をしていたときからのことで、大体外出を渋るのはアルフォンスだった。
鎧だったころだから、感覚のわからない自分が気付かないうちに兄が痛みを感じているのでは、と兄をさいなむ恐れ
のあるすべての要素がひどく恐ろしかった。
悪夢、不眠。そして、機械鎧。
兄は隠しているが、雨の日は機械鎧のつなぎ目が時折痛むのだ。
野宿した雨の日、痛みに我慢しきれずにエドワードが唸ったことがある。
それは深夜だった。アルフォンスはなんにも考えずに本を読んでいて、その隣で兄が痛みをこらえながら眠れずにい
たことを考えると、自分の体の欠損を呪いたくなった。同時に、恐怖にも似た哀しみを知った。
その空っぽの体も、兄から与えられたものだ。
そうして今ここにあるこの体も、この体温も。
感覚の戻ってきた今でも本当はすごく恐ろしい。
兄は外にさらしているその性格よりも本当は繊細で、苦痛の一切を必死で抱え込んでしまおうとする。
だから雨の日は極力、出たがる兄を押しとどめるようにしている。自分も外に出ない。
だって、誰によるものだろう、その機械鎧の痛みは。
何度かタオルの温度を手で確認しながら、熱くない程度に冷ましていく。ベッドに腰かけた兄は、相変わらずぶすっと
した顔でそっぽを向いていた。
「当てるよ。」
そっと、タオルを機械鎧のつなぎ目に押し当てる。エドワードはタオルが当てられるのと同時に、深い深いため息を吐
きだした。
「もう、いいよ」
「何が?」
「俺のことは気にしなくていいって。」
「一体、どうしたのさ」
様子がずいぶんおかしい。ちょっと可笑しくなって、おどけたように、言葉をこぼす。
気にしなくても、気になるんだよ。
「・・・・。」
エドワードが、こちらを見つめている。アルフォンスはなだめるような表情で兄を見つめ返した。
視線が合う。
「ならないわけないだろ。兄さんなんだから」
生来優しい顔をしている弟だ。だからいつも、微笑んでいるように見える。
エドワードの眉毛が、ひどくしかめられ、眉間に深いしわが寄る。
タオルを当てていないエドワードの生身の手が、ためらいがちにアルフォンスの、タオルを握る掌を掴んでくる。その
掌の強さに驚いた。
兄は怒っているのだろうか。
でも、何に?
自分の腕を痛ませる、この雨に?それとも、失恋したというのに呑気な弟に?
かしゃん、と鈍い音を立てて、機械鎧の腕がアルフォンスの背中にまわされる。
「にいさん?」
ためらいがちに、でも強く抱きしめられる。機械鎧のつなぎ目にあてたままだった蒸しタオルは、ゆっくりと温度を失い
ながら、抱きこまれたアルフォンスの左肩をも濡らし始めた。
遠くで電話が鳴り始めた。
それは残響のように、雨音の中、二人の間に強い勢いを持って鳴り響いた。
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