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「どこが好きなんだ?」と、広い背中が聞いてきた。
どうせいつものひとりごとだと、弟はその声を聞き流した。
答えも返さないでいると焦れたらしい声がもう一度聞いてきたから、それが自分に向けられた質問なのだと、アルフォ
ンスはやっとわかったのだ。
「なあ。どこが好きなんだよ」
急にどうしたんだろうとベッドに傾けた背を起こして、兄に顔を向ける。
質問の主は質問を投げたまま、背中をこちらに向けている。深い緑色のシャツを無造作にはおった背中は、声を発し
たことなど嘘のように書面に正対したままだ。
「・・・なにが?」
「あいつのこと」
しばらく考えた。膝の上においていた分厚い本をたたむ。集中しすぎたせいで膝が少し痛い、よいしょと自分の横に
本を置きなおした。自然本の表紙が目に入った。アンティーク調の、美しい柄はむしろその内容よりも本を飾ってい る。
「・・・・・・大佐のこと?」
さびしいしひとりで勉強するのは寒いからと言って、学校から帰ってくるなりストーブのきいた兄の部屋に潜り込んで
いた。エドワードは仕事をしていたようで、机の上に書類をぶちまけて唸るように目を通している。「はいるよ」といって も返事もなかったから、完全に本に集中していると思ったのに。
ひどく突飛な質問のように思えて、アルフォンスは虚空を見るようにもう一度考えた。
どこが好きだって?
目の前に、今日すれ違った人の姿が浮かぶ。ひどく忙しそうだったのに、アルフォンスとすれ違うとその人は残像を追
うように振り向いて、目を細めたのだった。
「アルフォンス君。今度の火曜日は暇じゃないかな?」
と言う声に、小さく「え?」と聞き返す。その人は丁寧に、同じ質問を、今度は突然声をかけたことを詫びながらきちん
と説明してくれた。
本当は廊下の奥からどうしても視界に入っていて、でも忙しいようなら声など掛けずにいようと思っていた。大体、忙し
い人だから遠くからちょっと見るくらいの方がよほど多いのだ。
差し出されたのは美術館のチケットで、アルフォンスが目をあげるとその人は形のしっかりした人差し指を上げて「ど
うかな」とまた笑った。
どちらかというと、いつもはきびきびとした印象を与えてくるのに、二人だけになったときには、深い親密さと驚くほど
の密やかさな雰囲気をかもし出す。それはきっと、本人の魅力であり同時に魔力のようなものだった。
くっ、と言葉が詰まってしまう。申し訳なくて、せめて、とゆるくほほ笑んだ。機敏にこくんと頷くと相手は今度は口の
端を少しだけ上げて手を上げた。
青い後姿が動き出す。何度か瞬きする間に、その背中は突き当りの廊下を曲がって消えてしまった。
思い出すと意識してなんかいないのに、なんだか温かい気持ちになる。ベッドの上に置いた先ほどの本の表紙をそっ
と撫ぜた。
少し顔も赤くなっているかもな、と弟は兄の背中に注いでいた視線をそっと伏せた。
「さあ。ただ・・・なんていうか。」
「なんていうか?」
そこでエドワードがやっと振り向いてくる。兄は態勢を整えて、心持うつむく弟の目をじっと見据えている。
何故そんな、刺すような眼で・・・
鋭い視線がはがれなくてなんだかいたたまれないような気持ちになった。言い訳しているような気分になる。
「なんていうか、居心地がいいんだ一緒にいると。存在が、安心するって言うか」
男の人に、変かな。
そういって、アルフォンスはぽりぽりと頭をかいた。
気がつくと惹かれていて、自然な会話すらできなくなっていた。
眼が何となくその背中を追ってしまっている。
視線が合うと必ず笑いかけてくるようなひとだ。だけれどその笑顔に充分に答えられるような余裕が、今の自分には
無い。
人を好きになるって、不思議なんだね。
そうはにかむと、兄はじっと弟の顔を見つめたまま黙った。ただ、しばらくの沈黙の後、ゆっくりと首を垂れて「変じゃな
い」
とつぶやいた。
「・・・・・・変じゃねえよ」
アルフォンスは伏せていた目を上げた。エドワードもアルフォンスを見つめていたから、そのまま、ありがとう、という意
味を込めてちょっと笑いかけた。
エドワードはそれに答えず、少し眉をしかめて歪んだような、苦しそうな眼をした。
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