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「アル。何してんだ?」
病室に足を踏み入れると、常にアルフォンスについているはずのエドワードはおらず、ベッドに横たわるアルフォンス
が左手を虚空にかざしてふらふらと振っていた。
「・・・なんでもないです、こんにちは。」
「今日は体調どんなだ?」
「大分いいですよ。いつもありがとうございます。」
アルフォンスがにっこりと笑ったのをハボックは見たような気がした。今日から顔半分をほぼ全部覆っていた包帯が取
られ、大きなガーゼが貼られている。そのおかげで、アルフォンスの左目を久しぶりに見る気がした。先日一緒に飲 んだ時に見せた力強い、いたずらっぽい笑顔ではなくなってしまったけれど、事件の後も務めて明るくふるまうアルフ ォンスの笑顔を見ることが出来るたびに心強い、うれしい気持ちになる。
「今日はな、花持ってきた。」
「花?」
「見舞いには花だろ、普通。」
アルフォンスに差し出すと、アルフォンスは顔を一生懸命上げて花を確認した。
目を見開いて嬉しそうな顔をする。ベッドに体を沈めながら、ああ、と息を漏らした。
「ありがとうございます。」
ハボックも笑んだ。病院は煙草も吸えないし以前長くいたこともあったしで、あまり得意ではないけれど、アルフォンス
の笑顔を見ることを思うと、知らず足が向いてしまう。事件の一端が自分にあるような気がしてしまからかもしれな い。
「ハボックさん、仕事忙しいんじゃないですか?気を使わないでください。」
「お前こそ気を使うなよ」
そういって、リンゴの皮をむき始めた。
そのリンゴもむいた後は、すりおろしてやらなくてはいけない。
事件の前にはやっと肉を食べれるようになっていた青年はまた、離乳食ほどのものしか内臓が受け付けなくなってい
る。
自分が兄弟にかかわることに、たまに疑問を覚える。病室に足しげく通うことも、弟のリハビリに手を貸すことも、兄弟
がひどく遠慮する以上するべきではないのかとも本気で考える。
やっぱり、多少の罪悪感はあるのかもしれない。
だけどこんな疲れた日に、肩をこきこき言わせながら帰る夜道で、何となくあの笑顔を見たいと思ってしまうのだから
本当に不思議だ。
「・・・大将?何してんだ?」
その日は仕事がたまたま遅くなって、でもなんとなくアルフォンスの顔が見たくて病院に来ていた。
眠る弟の隣で、その寝顔をじっと見つめているエドワードが不意に弟の顔に手を伸ばしたので、たまらず声をかけた
のだ。
「今、アルに何かしようとしただろ。・・・何を」
「ほっといてくれ。」
エドワードの顔が真っ青で、薄く汗をかいている。苦虫をかみつぶしたような声を出してはいるが、顔半分が病室の暗
闇で見えない。
ただ事ではないと感じた。
アルフォンスが起きることを恐れて、エドワードを病室の外に連れ出す。勢い付いてエドワードの腕を掴んだ。廊下の
突き当りには、ある程度の声で話してもほかの病室に届かないほどのスペースがある。
「おい、しっかりしろ。アルがあんな目にあって落ち込むのはわかるけど、支えてやらなくちゃならない大将がそんな
んでどうするんだ。犯人も見つけなくちゃならないだろう。」
「犯人・・」
いつもは勝気な金色の目の視線が定まっていない。ハボックは眉をしかめた。
腕をつかんだままのエドワードが、乾いた笑みをこぼす。
「俺なんだ・・・犯人」
「は?」
「あの日、俺酔いつぶれてたろ。それで家に帰ってから、俺が酔っぱらって、アルをベッドにくくりつけた。さんざん殴っ
て、・・・犯して傷つけた」
「な」
「アルのことが好きだったんだ。好きで好きでたまらなかった。」
「なにいってんだ、大将。お前、恋人が・・・」
金髪で、金色の目をした、恋人が・・・。
二人に沈黙が落ちる。こんなに重い静けさを感じたことが無い。
「俺が、あの時飲ませたから」
ハボックの声が震える。弟を欲のまま力づくで犯す兄を想像すると、背筋が凍えた。
「違う」
「あの時、送らなかったから」
「違う、飲んだのは俺の意志だし、送っててもきっと同じ結果だった。だから少尉は関係ないんだ。もうほっといてく
れ。」
踵を返すエドの背中が何かかたくなに見えて、ハボックは止めなくてはならないと思った。
弟のために、自分の体をささげようとしている青年を、なんとしても止めなければと。
「大将!何しようとしてる!?」
エドワードが振り返る。青い顔が闇に映える。すぐさま、エドワードの顔が歪んだ。
「アルの・・・アルの目を元に戻す」
「目?」
「機械鎧でおもいっきし殴ったせいで、左目の網膜を傷つけてる。・・・失明してる」
「さっき何かしようとしてたのは、目の練成か」
「・・・網膜を回復させるんだ。オレの網膜を代価に」
「俺はわかんねえけど、それは人体錬成になるんじゃ」
「なんでもやる・・・!」
エドワードが、生身の左腕を壁にたたきつける。たん、という乾いた音がコンクリートの壁から帰ってくる。
右腕を失ったエドワードは、いつもよりもずっと力弱いものに見えた。悲痛で、痛みを抱えた獣のようだった
「あいつを元に戻すためなら、癒すことができるなら!何でもやる。人体錬成でも、犯罪でも。腕も、目も命も。何にも
要らねえ・・・」
膝から力が抜けて、エドワードが崩れ落ちた。
「アル・・・、アル。やっと体を戻すことができたのに・・・あいつ笑うんだ気にすることないって。俺の手を握って笑うん
だ・・・」
恋人と間違えたんだろって、俺にいうんだ。
おれ・・・おれなんか消えちまえばいいのに
エドワードの影が長く病室の廊下に落ちている。ハボックは途方もない気持ちで、それを見つめた。
「あいつ、お前がお前の恋人と自分を間違えたと思ってんのか」
エドワードは頷きもせずに、無機質な廊下の一点を凝視していた。
待ってくれ、ちょっと頭を整理させてくれ。
タバコが欲しい、どのくらい吸えばすっきりするのかなんてわからないが。
ああ、業が深すぎて。ここからじゃ見通すこともできない。
たびたび、アルフォンスは夜、うなされた。
うなされると、付き添いのはずのエドワードまで錯乱する。
決まってアルフォンスに無理に触れようし、対する弟は暗闇の中で兄に触れられることを夢中で拒み、ますます混乱
する。「触るな」と叫ぶ時もあれば嘔吐を繰り返す時もある。
とにかく病院側ではどうしようもない事態に陥ったころ、困り果てた医師はいつもハボック少尉を呼んだ。
何も知らない看護婦に、泣きそうな顔で二人の保護者ですよね、と聞かれると、いいえ、という言葉を飲み込んでしま
う。ここで首を横に振ることは兄弟を見捨てることだ。
アルフォンスがうなされた次の日の朝はひどい。
まず廊下に、懺悔を繰り返す弱りきった兄がいて(ほとんど壊れている。)病室には呼吸器と点滴につながれた弟
が、意識不明のまま横になっている。
ハボック少尉は途方もない気持ちで、ベッドのすぐ横にある椅子に腰かけてアルフォンスのぐったりした寝顔をただた
だ見つめるのだ、時間の許す限り。
おそらく鎮静剤を打たれている寝顔はいっそ安らかで、眠りを邪魔する気には到底なれない。
その日もアルフォンスの眠るとなりに腰かけて、アルフォンスの顔を覗き込んだ。内臓が傷ついてしまっているせいで
しばらく点滴からしか栄養が取れなかった体は、やはりずいぶん痩せてしまった。
それでもまあ、兄はもっと悲惨なものだが。
窓から差し込む朝日が、アルフォンスの金色の髪の毛をまばゆく濡らす。こんなに薄い金色だったろうか、とじっと見
つめる。そういえば兄弟と自分のかかわりなんて、もともとずいぶん希薄なもので、こんなにしっかりと顔を見たことも ない。
もとの体にもどってから、きちんと確認などしていなかったけれど。きれいなやつだよな、とその笑顔を思い描く。
「こころ」も、その身をとりまく「雰囲気」もきれいなやつだった、と。
もともと罪を背負って戻ってきた体だったから、痛みや罪もすべて知り尽くしたような顔をして、その青年はいつも快活
に笑っていた。それはまるで何もかもを許してしまうようなそんな笑顔だったけれど。
一体、生まれたばかりのこの体で、どこまでの罪深さを許すことができるのだろうかといぶかしむ。
ハボックが持ってきた花を見て、「ああ」とほほ笑んで、息をついたアルフォンスの笑顔。
そうだ。アルフォンスは。もうすべてを許してしまっている。
見通しのきかないような兄の業さえも。
アルフォンスの右目の睫が小さく揺れた。もうすぐ起きるな、とあわてて笑顔を作る。
そうして待っている、またあの笑顔が見れる時を。
アルフォンスが目をさます。うなされた朝はいつも気まずそうにゆっくりと目を開けてまず周りを確認する。
きっと、目をつぶったまま、息を殺して周りの気配をうかがっているのだろうと、ハボックは目を細めた。
目を閉じたまま、躊躇しているのだ、目を開くことを。そこにうなだれた兄がいるんじゃないかと。
また、兄が絶望の淵にいるんじゃないかと。
胸がいたい。
「おう、アル。おはよ」
できるだけ明るい声をかけると、アルフォンスはやはりほほ笑んだ。
「おはようございます」
力ない、呼吸器ごしのこもった声。
お前だけは、どうか力を失わないでほしい。これ以上。
「なあ、アル。」
ベッドの上の手をとった。ゆるく握りこむ。
血の気は引いてしまっているけれど。だけどやっぱり、だれよりも暖かいものが流れているだろうはずだ。
「アル。おれんとこ来るか?」と、呟いた。
アルフォンスはじっとハボックの目を見つめた。片方だけの澄んだ目で。
「一緒に住もう、きっと楽しいぞ。」
煙草臭くはなるかもしれないけど。でもお前が来るなら、量は減らすからさ
顔を覆う大きなガーゼの下の瞳が、笑った。柔らかく細められた瞳に、ハボックは手を伸ばす。
恋に落ちたタイミングを、よく覚えている。
「ハボックさんのたばこ、好きですよ」
と一生懸命ほほ笑んだ青年を、ハボックはできる限りいたわるように、優しく抱きしめた。
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