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おあつらえ向きに廊下に落とされていた、黒縁メガネを拾い上げる。
ひび割れたそれは、アルフォンスがエドワードの補佐官になると決めたときからかけ始めたものだ。
ロイマスタングは、「監査」と書かれたプレートのかかる扉の前に背中越し張り付いて中の様子を伺おうとした。
その緊迫感も、次の瞬間に見事にぶち壊されたのだが。
「アルフォンス!!!」
エドワードエルリックが扉を蹴破って中に入る。ロイマスタングはあわてた。
「おい!ふざけるな・・・・!」
貴様、手を出すなと言っただろう!!
室内に入ると、意外なことに部屋の中にはたった一人、アルフォンスだけが立っていた。
足もとに3人の屈強な男と、小柄の黒髪の男が横たわっている。うち二人はまだ意識があるらしい。小さく呻いてい
る。
アルフォンスは制服の上着を脱いでいて、白いシャツ姿で、腰に手を当てて今まさに大工仕事でも終えたかのように
さわやかに息を吐いた。
「ああ、すっきりした。」
さらに口元についた血をぐいっと勇ましくぬぐう。エドワードは開いてふさがらない口で、懸命に言葉を吐いた。
「お・・・お前なあ!!せっかく助けに来たのに。」
「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても。」
困ったような笑みが向けられて、エドワードはもう一度部屋の中を見回した。
「これ、ひとりでやったのか。」
うん、と当たり前のように頷く。
「だからいったじゃないか。ボクは兄さんにも負けたことなかったんだよ。」
一回だけ負けたけど。そのときは兄さんはずるしたんだけどね。
いたずらっぽく笑う。脱いだ上着を拾い上げて、うわー、これはひどい、とも呟いている。
「にしても・・・こてんぱんだな。」
ロイマスタングが気まずそうに手袋をはずしている。アルフォンスはふうっともう一度息を吐いて笑った。
「日頃のうっぷんがうまい具合に発散されました。」
「・・・無事で何よりだ。」
マスタングが近付くと、ふっとアルフォンスが避けた。マスタングが眉をしかめる。
「おい、抱きしめさせろ」
「拒否だ」
アルフォンスが答えを返すよりも早く帰ってきた、エドワードの返事にアルフォンスとマスタングが同時に振り向く。ア
ルフォンスはあきれたような顔でエドワードを見たが、マスタングはすぐさま気を取り直して、アルフォンスの手を強引 に掴んで引き寄せた。
「わ」
抱きしめると、アルフォンスの運動した後の高めの体温が伝わって、マスタングから思わず安堵した息が漏れる。
アルフォンスは困ったような顔でマスタングの背中を何度か叩いた。
「すみません」と小さく呟く。二人でいる時のような親密さで。
「・・・やっぱ、ずるい」
マスタングとアルフォンスがエドワードを見た。エドワードは胡乱な目つきで腕を組んでふんぞり返っている。
「ずるいぞ」
「ずるいって、何が。」
「だってそうだろ、そもそもそうだろ。オレとお前が兄弟なんてさ。」
マスタングはようやくアルフォンスを放した。いまいちエドワードの真意がわからない。
「そもそも俺は弟を助けるために記憶消されたんだろ。なんで気がついたらお前らができてんだよ。アルフォンスを助
けるのに失敗して捕まったのに、記憶も消されて。あろうことか意識が戻ってきたときには助けたかったはずの弟に 恋人ができてるなんて。よりによって、大佐だぞ。ロイ・マスタング!」
踏ん反りついでに自分の上官をびしり、と指さした。正直、忌々しくてしょうがない。
「別にアルフォンスは助けてくれとお前に頼んだわけじゃないだろう。しかも目の前で人を殺せなんて言ってないぞ。」
「うっさいだまれ、その言葉、さっきのお前にきっちり返すぞ。」
「えーと・・・」
「なあ、アルフォンス」
何をいえばいいのか。アルフォンスが迷っていると、エドワードの表情が変わった。こういうところは全然ちっともかわ
っていないな、とぼんやり思う。
「うん?」
「恋人としてなんかじゃなくていい。いいから。」
エドワードが下を向く。これはそうとう追い詰められているな、と感じる。兄弟として生きてきた中で、当然のように培
われてきた感覚が、兄の真摯さを自分に伝えてくる。
「俺・・・もう一度、アルフォンスと生活したい。家族として。お前とつながりを持ちたい。」
そばにいて欲しい。
言下に、その意味が含まれていることをそこにいた誰もが理解した。
アルフォンスは視線を動かさずにじっとエドワードを見つめた。鎧の中にいたころのような透明な気持ちで、あのころ
の、兄弟としての感情で。
マスタングは何も言わなかった。ただ、アルフォンスに触れそうな、一番近い距離で、アルフォンスの呼吸をうかがっ
ているようだった。
「兄さん」と。再びエドワードを呼ぶこと。
毎日を笑って過ごすはずだった、あの失われた日々をうまく取り戻すことができるのだろうかと考えた。
兄と食事をして、喧嘩をして、時には一緒に眠って。
自分が癒えることは、兄も癒すことだ。そして兄が癒えるということは、きっと自分さえも。
一番、自然なかたちで。
もとどおり、すべてのものを元あった場所に還すために
「よし」
部屋を見渡す。そんなに長くいなかったし、もともと家政婦のつもりだったから、そこは普段からさっぱりと整えられて
いた、荷造は簡単だった。
荷物も大きめの鞄一つだ。旅慣れているから、少なくてすんだ。
冷蔵庫を確認する。少なくとも一週間くらいは衛生的な食事ができるだろう、と安堵の息をひとつ。
「またお兄様に襲われたらすぐに言うんだぞ。」
後ろから声がかかる。聞きなれて、いつのまにか温度を持つようになっていた声。
振り向くとキッチンのテーブルに寄りかかるようにマスタングが立っていた。
「普通、兄は弟を襲いません。」
「エルリック兄弟の普通は違うぞ。」
渋い顔を作るマスタングに苦笑した。
「ちゃんとご飯食べてくださいね。もしもいい人ができたら。ボクにちゃんと紹介してください。」
「そんな人は作らないよ。もういるからな。」
すっと、いつものまっすぐな眼で見つめてくる。
「できますよ。大佐ならすぐに。」
ほほ笑むと抱きすくめられた。
こめかみあたりに、唇の当たる感触。
「きっと、作れない。」
腕の中のアルフォンスから、笑みがこぼれる。
「遊びに行きますよ、ご飯でも作りにきます。」
「たまにといわず、毎日来給え。」
「それじゃ家政婦さんみたいですね、ボク。」
「家政婦さんとして君を雇ったら、ずっと一緒に暮らしてくれるかな。」
まったく、子供みたいだ、とあきれる。
それでも、抱き締めていた腕を少し緩めて解放してくれた。
ああ違う、父親のような人だったと思う。
その腕に包まれると安心してすべてを任せることができるような。
素直な気持ちで、好きだと伝えられるし伝えてくれるような。
「じゃあ、兄さんと一緒に行きますよ。三人でご飯を食べるのはどうですか。」
「・・・そのときは牛乳を忘れないように用意しておくよ。」
一リットルくらいですか?と首をかしげると、ロイは黒い眼を細めた。
慈しむようにもう一度抱きしめられる。
息を思い切り吸い込む。このにおい、この暖かさ。
「大丈夫ですよ、ボクも大佐が大好きだ。」
誰よりも
そういって、強く抱き返した。
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