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「ひどい雨だな」
窓にたたきつける雨を見て、カインザックはつい呟いた。
一人になることに慣れ過ぎて、最近は独り言をいう癖がついてしまっている。
ひとりでたたずむ研究室は薄暗い。雨の音がさらに寂しさを浮き立たせている。
カイン教授の部屋には小さな書庫が付いている。棚がいくつか並べられたごく質素なものだが、重要文献の並んだも
ので、今もその中の一つを手にとってぺらぺらと意味もなくページをめくっていた。
そうして、あの青年のことを考えていた。一体何に必死になっているのだろうかと。
構築式を見た限りでは、誰かの右腕を元に戻したいようだった。式は驚く程緻密で、ほとんど完成されていたし、少な
くとも失敗する要因を見いだせなかった。だがそれはやはり人体錬成には違いなく・・・
そこまで考えたとき、背後で小さくドアが叩かれる音がした。こんこん、と二回。
「はい」
と答えると、戸惑いがちに扉が開かれて、アルフォンス青年が入ってきた。
ちょうど頭の中に浮かんでいたその青年の面影が重なる。幻を見たような気持ちになって、カインは本当に驚いた。
本物のアルフォンスだときちんと認識してから、もう一度驚いた。全身ずぶぬれで、体からは水滴が滴っている。
さらには、はおっているシャツの隙間から子猫を一匹出してきた。
「アルフォンス君!?ど、どうしたんだ!そんなに濡れて。タオルを持ってくる。ソファに座っていたまえ。」
ソファが濡れますからと遠慮する青年のために、ソファにバスタオルを敷く。遠慮する声すら心弱い、子猫よりも、青年
の方がずっと力なくて、対応がためらわれた。
手元にもタオルを渡して、猫を温める。
アルフォンスはきちんとミルクまで買ってしまっていた。
ちょっと鍋で温めてから渡してやる。
さっきまでのひどく心細そうな表情が少しだけ、いつもの笑顔になる。
猫を見つめる視線がひどく優しい。指につけたミルクを必死で舐める猫に、アルフォンスは声を立てて笑った。
「よかった、全然平気みたいだ。すみません、突然驚きましたよね」
「いや、全く構わないよ。私も教師として、頼られるとやはり嬉しいね。」
二人でちょっと笑った。だけども何故かアルフォンスの笑顔が固くて、すぐに二人の間に静寂が落ちてくる。
「何かあったのかい?もしかして、この間の構築式を気にしているのかな。」
人体錬成を、誰かの腕を戻そうとする式が描かれていた式。ひどく緻密で精密なおそらく、あれを実行してしまえば人
体錬成は成功するんじゃないだろうか。
カインはその式をよく覚えていた。あんなに美しい構築式はそう何どもお目にかかるものではない。ただ、カインは人
体錬成がいかに危険で罪深いかを知っていた、理解していたからあれを公にしようなどとは考えなかったが。
青年は大きなバスタオルにくるまれたままで、長い指先で自分の指を一生懸命舐める子猫を見ていた。小さく首を横
に振る。
「教授。・・・ボクは時間がないんです。どうしても、知りたいことがあるんですが。」
アルフォンスが視線を上げる。濡れた前髪が少し顔に張り付いている。きらきらと、瞳の中でひかりが揺れた。
「先日、魂の消費について話をしましたよね。たとえば、ある魂の「量が減ってしまって」いたとすれば、その魂は、減
っていない魂とはやはり、等価とは言えないのでしょうか。」
カインは向かいに座る青年を見つめた。縋ってさえいるような、真剣なまなざしは少し痛い。
「魂の量が減る、ね。君は魂の消費にこだわるなあ。だけども、そもそも魂がすり減るなんてことがあるだろうか?」
カインの苦笑に、アルフォンスは応えない。ひどく追い詰められた表情で、次の言葉をつないだ。
「魂だけが長い間眠ることも感覚ももたずにいたとすれば、どうでしょう。」
「その場合、精神が先に支障をきたすと思うがね。あるいは肉体か。」
「その、最初に消費されるべき精神も肉体ももたず、魂だけしかなかったとしたら・・・。」
「肉体も精神ももたない?」
どうしたというのだろう、こんな突飛なことを言う子だっただろうか、と訝しむ。
「肉体も精神ももたないなんて!それは君、生きているとはいえないよ。」
安息をもたらす睡眠も、感覚ももたず、浄化作用である涙も流せず、すり減るべき精神も、肉体ももたない「魂だけの
人間など。
「・・・・・・そうですよね」
青年はその時初めて、ふっと笑った。笑ったのに、それはいつもの快活な笑顔でも日の当たるようなほほ笑みでもな
かった。次の瞬間に、ものすごい罪悪感がカインの胸を襲った。
もしかして、自分は今この青年にひどく残酷なことを告げたのではないのだろうか。
「・・・アルフォンス君。魂に関する文献ならいくつかあるから、手紙に書いて送ってあげよう。」
「ありがとうございます」
弱い声音でそう言った。
ああ、もう帰らなくちゃと小さくこぼす。
「今お茶を入れるよ、体が温まってないだろう。」
いえ、と言った表情には顔色がない。風邪をひくよと言ったけれど青年は曲がらず、おもむろに立ち上がった。
深く会釈して、ありがとうございました、と礼を述べる。
「実は・・・あの、この猫を」
「ああ。いいよ、私が飼おう。」
・・・本当にありがとうございます。
もう一度青年が笑む。その笑顔は、なぜだか泣きそうででもとても美しくて、カインはつい、目をそらした。
「先生は猫、好きですか。」
「え?・・ああ、嫌いじゃないが」
「ボクは。飼えないので・・・」
そう言った青年を見つめて、カインは自分の目を疑った。これはいつも見る、あの朗らかな青年だろうか。
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