君を呼べる黄昏

(六)







目が覚めると、兄がベッドサイドの椅子に座って、見るからに沈み込んでいた。
あれ、と考えてみる。昨日はエドワードがアルフォンスの部屋にやってきて、いつものように拗ねて、事に及んで・・・
そこから記憶がない。
もしかして、いやもしかしなくても。自分は最中に気絶したのだと思いだす。
「えーと、・・・おはよう。」
兄が沈んでいるのは気絶したせいかもしれない。手をのばしてエドワードの注意を引こうとした。エドワードが顔も上
げずに、アルフォンスの伸ばされた掌をひっつかみ、そのまま自分の顔に押し当てる。

「お前、最近やせたよな」
「そうかな」
「ちゃんと飯食ってんのかよ」

これはかなりやばい感じだ。兄の気分がだいぶん落ちている。
「あー・・・レポートとか書いてるとね、忘れるかな、たまに。それは兄さんも同じだろ。」
「・・・大学、やめろよ。」
金髪を見つめた。カーテンがかかっているせいで、いつもはまばゆいほどに光っているそれが、今日は鈍く見える。
「どうしたの?」
できるだけ、落ち着いてゆっくりとかえしてやる。兄の深みに自分も引き込まれてしまわないように。
「いいから、やめろよ。もうどこにも行かずにここにいろ。俺も、仕事辞めるから。」
「兄さん?どうしたんだよ。」

「お前は・・・」
「え?」
「お前はどうしたんだよ、何隠してる。何があった。なんで最近そんな憔悴してるんだ。」
鋭い視線が、アルフォンスの瞳をとらえた。よく見ると兄は額に汗すらかいている。
「近頃俺と距離を置いてるのは、何か異変があったからだろ。」
何度か瞬きをして、エドワードを見つめる。

焦りを少しでも見せてはならない。

「なあ、まさか、俺、失敗したのか・・・?」
「してないよ」
わらってみた。
できるだけ、兄の心に直接届くように力強く答える。
「兄さんは、失敗なんかしてない」
「お前の部屋でカインとか言う教授の手紙を見つけた。」
その一言を発したとたんに、エドワードが震えだす。
「なんだよ、魂がすり減るって何だ・・・?」
「なんで勝手に」
「お前・・・お前は、お前の魂は・・・すり減って・・・なくなって、いくのか・・・・・・?」

「兄さん!!!」
エドワードの視線が、アルフォンスをとらえていない。がくがくと震えている体を、できるだけ落ち着かせるために両腕
を掴んで瞳をのぞきこんだ。
兄さん、と柔らかに声を発して、心に届くようにゆっくりと話しかけた。
「錬成は失敗なんかじゃなかったよ。」
エドワードははっとしたようにアルフォンスの目を見つけ返した。視界が揺れる、アルフォンスがただその中で、確か
なものとして暖かな存在として微笑んでいる。
今、目の前にいるかけがえのない存在を。

アルフォンスを。失う。

なあ、と息を吐くタイミングで言葉を吐いた。驚くほど弱気な声がでる。
「なあ、まず、お前の魂を何かほかのものに定着させて、その間に」
アルフォンスは困ったように笑った。もう夜なのに、何故かその笑顔だけが部屋の中の明かり全部を取りこんだみた
いにまぶしくて、エドワードは顔を顰めた。失うには、まぶしすぎる。

「兄さん」
とだけ言ってから、口を閉ざす。
エドワードは、それだけで察しろとでも言いたげな弟の表情に苛立った。
そうして弟の表情と自分をよぶ声だけで、何を言いたいのかすべて察してしまった自分にも腹が立った。

アルフォンスが消えてしまうこと、それを受け入れろ、などとその穏やかな笑みを今ここにさらして、弟は言うのだろう
か。

その笑顔を、温度を、存在を。失うことを受け入れろ、と?

「ボクは本当に感謝してる。」
笑む気配。
「やめてくれ・・・。」
両手で自分の目を覆った。アルフォンスの温度の低い手がなだめるように肩に柔らかく触れるのがわかった。

なにも聞きたくない。両耳を塞いで、目を閉じていたい。この空間の一切を留めてしまたい。

「この体があるから、眠ることができるよ。食べることができる。兄さんの温度を、感じることができる。」
肩を、手が滑っていく。滑り落ちるように背中まで回されて、弟は緩やかに兄を抱きこんだ。
耳元に、弟の柔らかい吐息を感じる。それはいつものように肩に落ちて、ふわりエドワードの体に温度をもたらすの
に。
「・・・おれがなんとかする。絶対、何にかえてでも。お前を失うなんて・・・そんなことはできない。」
突然の強い口調に、弟が驚いて、体を離した。何か言おうとしたところを唇でとどめる。
そのまま体を押しつけて引き倒した。
「にいさん・・・」
苦しそうな、弟の声が部屋に響く。エドワードはそれに答えずにただ重い息をありったけ吐き出した。








それから兄は、家から極力出て行かなくなった。アルフォンスも家から出さない。一心不乱に部屋の書庫を漁って
は、何かを調べている。睡眠もろくにとらない
荒れ果てた机の上から賢者の石に関する資料を見つけたとき、アルフォンスはため息をついた。

兄の部屋から光が漏れていることを確認する。静かに部屋に入り込んだ。
机と向かい合うように置かれているベッドに胡坐をかいて、兄のにおいのする枕を抱きしめる。そうして机の上に覆い
かぶさる兄の背中をそっと見つめた。
集中していることも分かっている。
だけども、自分が呼べば、絶対に気づくことも知っている。
「兄さん。」
振り向かない。ただ後ろで一つに束ねられた髪が少し揺れた。
「にいさん」
そうしてやっと椅子の向きを変えて、エドワードがアルフォンスに向き直った。うつむいて影になっているけれど、目の
下にできたクマが痛々しい。


エドワードが無言で椅子から立ち上がる。ベッドに乗り上げてアルフォンスの向かいに胡坐をかいた。
スプリングのきしむ音。

あれから、アルフォンスが気を失った夜から、エドワードはアルフォンスに触れてこない。
あの恐怖をもう味わいたくないからだろう。あるいは今、それに絶えずさらされているからかもしれない。

枕を横にどけて、ゆっくりと、できるだけ緩やかな動作で兄を抱きしめる。膝立ちになって、兄のうつむいた頭を胸に抱
え込んだ。
「・・・ふ」
エドワードも小さく息を吐いて腕を回してくる。すがりついてくるようで少し痛い。なだめるように頭を何度かなでてから
髪の毛にキスを送る、強く兄のにおいがした。
「にいさん」

自分が、何を言えるだろうと思った。
アルフォンスを守りたいと、アルフォンスさえいればいいといった兄を残して去りゆく自分が、今ここで捨てられた子供
のようにすがりついてくるこの人に。
何を。

「・・・涙はね、自浄作用があるんだよ」
「・・・。」
「泣きなよ、兄さん」

何かを失うこと。そこにはいづれにせよ大きな痛みが伴うはずだ。どんなにものであっても。
だけどそれをすこしでも洗えるなら。
洗って、清めて。そして緩やかに流せるのなら。
きっと自分のいない未来を、兄は生きていける。

アルフォンスの心臓の上、左胸よりの肌に、兄の唇が触れる。熱い息を吐いて、兄は苦しそうにつぶやいた
「好きだ」
「兄さん。」
「すきだ、すきだ、すきだ。」

心臓に直接こだまする。アルフォンスは目を閉じた。湿った室内、雨の気配を感じて窓を見ると、やはりしずくが落ち
てきている。
ああ、そうだ。と思う。

むかしから。エドワード・エルリックは自分を癒す涙を流せない人だった。




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