センスレス


9










リビングに行くと、マスタングがソファに座っていた。本を読んでいたらしく、周りには二・三十冊の本が乱雑にちらばっ
ている。
「寝てるかと思いました。」
「早番のはずのお前が、遅番の私より遅ければ、心配するのは当たり前だ。」
アルフォンスは、すみません、と力なく笑った。マスタングの心配はありがたいけれど、今は顔を見たくない。
「・・・何があった。」
リビングから出て寝室に行こうとしたアルフォンスの背中を、マスタングの声が止めた。
伝えるべきかどうか戸惑う。だけどどうせはわかることだ

「・・・兄さんに、話しました。僕たちは兄弟だと」
振り向かない。アルフォンスの背中が心持うつむいている。それが疲れと、何かが起こったことを物語っていた。
「なんだ、エドワードに襲われそうにでもなったのか」
冗談で言ったはずだったのに、そうしてマスタングは顔にうすら笑いさえ浮かべていたはずなのに。

ゆっくりと振り向いたアルフォンスの顔にかかった影が、その冗談は本当だということを語っていた。
背中に寒いものが走る。それが、エドワードに対しての怒りだと認識するまでに時間はかからなかった。

「言ったのか、すべて。」
力なく首をふる。
「すべての記憶を失っている人に、僕たちの事情を伝えるなど不可能です。」

あのあと、兄はどうなっただろうか。
「兄弟であっても構わない」と言った男を、感情のままに一発殴り、昏倒している間に逃げるように帰った。
車を拾って、帰る間に見えた月が虚しくて仕方がなかった。


「説明してやればいいだろう。あれはどうしようもない殺人鬼だ。手が血に染まってるぞ。放っておけばまた」
「大佐」
「違いないだろう、お前は忘れたのか。」
止まらない。止めたいのに。これは、アルフォンスにとって最大の傷なのに。

「お前を救うこと、そして復讐という名目で、あの男は一体何人殺した?」

アルフォンスが目をそらす。無意識に右腕で、左の腕を強くつかんだ。
その、白んだ掌を目で追いながら、マスタングは続けた。

思い出せ、あの日の絶望を

と、無意識に思っていたのかもしれない。
兄のもとに行くんじゃない、と。

「兄が・・・エドワードがお前が軍に拘束されていることを知り、助け出そうとしたとき、お前はすでに過多の薬物投与
で心拍が停止していた。エドワードは錯乱し、研究室を壊滅」
「たいさ、やめてください。」

「研究室を、壊滅させた。死者は10人以上に及び、兄は捉えられ記憶すべてを抹消、今後このようなことのないよう
に軍部に所属させることで、体のいい永久拘束。だ。」
マスタングはゆっくりとアルフォンスに近づいた。
アルフォンスが無意識に強く握りすぎて、血がにじみだした袖を捕らえようとすると振り払われる。

「・・・だが、死んでいたように思われたお前は実は生きていた。しかも、兄の殺戮行為を目の当たりにして、お前まで
も錯乱してしまった。」
アルフォンスが軽く頭を振って、両手で顔を覆う。何度か深呼吸をした。

「だから言っただろう、あれは必ずお前を求める。たとえ記憶を失っていても、意識さえ失っていても。」
「・・・兄さんは、思いこんでいるだけです。」
「違うな。思いこもうとしているのはお前のほうだ。」
金色の目が見開かれて、黒い視線と交錯した。間をおいて、溜息をひとつ。

「馬鹿なことを言わないでください。」
「馬鹿なことかな?もともとあれはお前のことを弟以上に思っていた、アルフォンスは気づいてないかもしれないが
ね。
これからは以前よりもっと、混乱するだろう。そしてもっと、君を求めるはずだ。」

思い出させたくはないが、と言葉をつないだ。
「あの時の、あの男の表情を忘れてはいないだろう、アルフォンス。あれはおまえのことに関してはもう狂人だよ。」
マスタングの軍服に重なって、あの日がよみがえってしまうような気がして目を閉じた。

振り返った、兄の表情がよみがえる。


あわてて瞳を開いて、今度は責めるように目の前の男を見つめた。試すような目にからめとられる、思わず激しく首を
振って、必死でその視線を逃そうとした。

「違う・・・!」

叫ぶように言い放つ。何か言葉をつなごうと息を吸った。
何がどう違うのか、自分でもわからない。

黒い眼が細められて、近づいてくる。アルフォンスは一歩後退した。
「違う、兄さんは、」
ボクのために・・・!

「ああ、すまない。」
黒い瞳の中に宿っていた、先ほどまでの鋭い表情が崩れる。アルフォンスが崩れてしまう前に。

本当に壊れてしまいそうなのは自分だ、と思う。
こんなにも苦しいのに。目の前の青年を、どうあがいたって手放すことなどできないのに。

アルフォンスの腕を掴んでまた引き寄せようとした。もう一度振り払おうとされて、しがみつくように抱きしめる。

「兄さんは・・・」
息が上がって、言葉を紡げない。
言葉が、思いが、考える前にこぼれおちていく。自分の非力さで、すくえきれなかったもの、今また傷つけようとして
いる者たち。記憶を消すことは、兄のためにならなかったのだろうか。自分はもうエドワードの弟ですらない。
兄は記憶すらも奪われて、たった一人孤独の中を生きてきたのに、なのに、自分はこうしてマスタングに守られて、救
われて。

「放してください」
「いやだ」

「放せ・・・っ」

マスタングの、込められた腕の力に息が詰まった。
「行くな、アルフォンス。私から離れるな」
それでも体をねじって、拘束しようとする腕を引き離そうとした。

「じゃあ・・・っ」声を振り絞る、非力な自分はいつも叫ぶばかりだと顔をゆがめた。

「じゃあ、ボクに何ができますか、何が救えますか。兄さんの力になりたいのに、救いたいのに、ボクはただ兄さんを
孤独にしているだけだっ。
あなたの力にだってなりたいのに、こうしてまた縋って、守られて・・・!」

「いい、もういい。私が悪かった。」
「放せ!守られるのはもうたくさんだ・・・!!」
そうだ、自分がすべて悪いのだという強い感情が沸き起こる。

「違う、君は悪くない。君は少なくとも、私を救っている・・・」
 ・・・あいしている。
語尾が次第に小さくなって、絞り出されるように耳元でマスタングが告げた最後の言葉に、それ以上何も言えなかっ
た。
ただ乱れたまま肩で呼吸して、でも、と思った。

でも、ボクはこんなにも無力だ。
つばを飲み込んだ。短く息を吐くと、涙が頬を伝う。弱く首を横に振る。

「ああ、頼むから・・・」
耳元に直接吹き込むような、マスタングの声は切実だった。

「頼むから私から離れようなどとは考えないでくれ。どこにも行くな、ここにいてくれ。」
腕に力が込められる。

私が悪かった。
君は無力なんかじゃない、たのむから・・・

また、頬を水が伝って、アルフォンスは拳を握り締めた。
その腕にこたえることができない。

瞳を閉じる。




どうすればいい?

閉ざされた視界に、エドワードが自分の兄であったころの笑顔を思い出す。










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