スパイラル


11






次に目が覚めた時には、パジャマに汗をびっしょりとかいていた。体全体にまとわりつくような倦怠感。
レイバーは部屋にいないようだった。一生懸命介抱していたあの温かい手が、兄のものではなくレイバーのものだっ
たはずだと今更気がつく。
体が重い。
起き上がることもできずに、部屋にある電灯をじっと見つめた。うなされるように見た夢を思い出す、苦い思念だけが
よみがえる。

随分うなされたようだ、日にちが変わってしまっている。うすぼんやりとした窓を眺める。
「・・・はあっ・・・」息をついて、体を起こした。
膝を抱える。
「早く帰りたいなあ・・・」
袖でぐいと額の汗をぬぐう。
昨日よりはいくらかましかもしれない。逃げるなら今だろうか
と思ったとき扉が開いた。
「もうだいぶんいいかな、体調は?」
「最悪です。」
「ははは、ちょっとは良くなったみたいだね」
と苦笑したけれど、レイバーもずいぶん疲弊している。目の下にある隈を見つけたとき、目が合った。
にこり、と微笑む。これは、医者の笑顔だ。

「薬は今効いているはずだから、とりあえず水分をとったほうがいいね。しばらくはここにいることになる。」
「レイバーさん・・・」
「うん?」
どうしてそんなに穏やかな眼をしているのだろう、と思う。
人をさらっておいて、あまつさえ兄から奪うと豪語しておいて、向けられる視線は慈愛に満ちている。
「水はいいから、ボクを返してください。」
ああ、まただ、悲しそうな眼をした。でもきっと、ボクを返す気はさらさらないのだ、と感じた。

そうだ、この目、
お前は俺のものだ、という、目。

「はい、水。」
「あ、どうも。」
じゃなくて。

こういう状況でも、差し出された好意に素直に反応する自分もどうかと思う。水を一口飲んだ。
「何か胃にいれたほうがいいだろうと思ってね、リゾットを作ってみた。」
「わ、おいしそうですね。」
じゃ、なくて・・・!

これは癖になっている、何かに感心すると首をかしげて正直に称賛していまう。
勢いで受け取ってしまったリゾットを、意を決してベッド脇のテーブルにおいた。レイバーを勢いよく見たとき、相手もこ
ちらを見ていたらしい。

視線が合う。

「本当に似てる・・・。」
「え?」
「エヴァ・・・」

視界が反転する。背中にベッドのスプリングがきしむ感覚、唇に柔らかい感触。

油断した・・・!
 とアルフォンスは思った。昨日までひどかった熱も引いたことだし、ちょっと食欲もわいて、気分がよくなっていたの
だ。そうして、食事を持ってきてくれた男に、ありがとうございますと微笑んだばっかりに。
 
 「・・・んんっ・・・!!」
ものをいおうとすると、舌が入り込んでくる。腕で顔を引き剥がそうとしたけれど、いかんせん生まれたての病み上が
りの体ではあがなえそうにない。とりあえずうめいた。というか、呼吸ができなくて死ぬ、と叫ぼうとした。
 「んーーーっ!」
 おとこの手がアルフォンスのシャツから入ってくる。昨日までの熱のせいで汗ばんだ体に、さらっとした乾いた手が
触れる。
し、死ぬ。と思った。レイバーの口付けは思いのほか執拗で長く、体力のないアルフォンスのことなどまったく念頭に
ないようだ。
 「う・・・。」
 
 
 酸素不足か、それともほかの何かなのか、体から力が抜けてぐったりと男の腕に体を預けた。もういい、やるならや
ればいい。そのかわり
 
 最中に舌噛み切って死んでやる・・・!!!
 
 アルフォンスの悲痛なそして真剣な決心とは裏腹に、突然力の抜けたアルフォンスにおとこは理性を取り戻したらし
かった。ひるんだレイバーの唇が離れた瞬間に、酸欠のからだにあらん限りの力をかけて男を突き放した。
 
「ぶっはっ。はーーーーっ、はーーーーーっ。」
げほげほ言いながら、呼吸を整える。口元から伝い落ちる唾液を、ぐいとぬぐっておとこをにらんだ。荒い息が収まっ
たら、何か言ってやろう、と思ったのに先に口を開いたのはレイバーだった。
 
「すま、な、い」
 
一言。レイバーがどんな衝動に突き動かされてこんなことをしたのか、アルフォンスはそのたった一言でわかってしま
った。
男の目が、アルフォンスを見ているのに見ていなかったから。
あるいは、この男によく似た存在を知っているからかもしれない。

この人も脆いのだ。と、ここにはいないその存在を思った。
この世界で一番大切なものを失い、きっとこの男の世界は一度壊れてしまったのだろう。

レイバーは、突き飛ばされたままの姿勢で、ちょっと笑った。かすれて、乾燥した笑いだった。そして自分の右の掌を
顔の前に持ってきて、突然口を開いた。
「この手で、エヴァを思い切り殴った・・・。」
「え?」
「君のお兄さんと同じだよ」
何が言いたいのか、見えなくてじっとレイバーを見つめた。ただ土岐が止まったように落ちる沈黙。



「私は・・・・・・・私は、弟を愛していたんだ。」
壁際に尻もちつくレイバーの手に拳が作られる、強く握りこんで額に押し当てた。
「この世に、弟さえいればよかった。何もいらない、とエヴァにいった。お前だけがほしいって。」

アルフォンスは、ゆっくりと目を閉じた。今ここに落ちる静寂。それすらもこわい、と思った。
だけど続きを聞きたくない。
突然手を握りこまれて、驚いて目を開いた。壁際にいたと思っていたレイバーが、ベッドサイドに近づいてアルフォンス
の掌を強く握りしめ、すがるように瞳をのぞきこんでいる。



「私は!!」

違う、ボクはあなたの弟じゃない

そう告げようとした言葉が遮られる。
「弟を犯したんだ。ほしくてしょうがなかった。弟は私の想いを否定した。私たちは兄弟だからと。だから犯した。・・・犯
してしまえば、私のものになると思ったんだ。
おとこの瞳からとめどなく、涙が流れた。熱くて、どうしようもないような。
「私のそばに、弟がずっと、いてくれると。・・・・でも、違った。」
 
表情が、凍りついた。いままざまざと悪夢のなかにいる。からだが震えだす。
「弟は私に犯され、傷まみれになって死んだ。自殺に近かった、その日から何も食べなくなって」
 握りこまれた掌がぎちりと嫌な音を立てたが、アルフォンスは奥の歯をくいしばって耐えた。これは男の痛みであり、
そうしてアルフォンスの兄が感じていた恐怖と同じものであるに違いなかった。

 レイバーの顔から大粒の汗がながれていく。だがかまわず叫ぶように言った。もはや初めてあった頃の面影は見る
影もない。
「許してくれ、行かないでくれ、頼む、、、おれはお前にここにいてもらえればいいんだ。おれのそばに、本当に。お前
の肉体なんてもう二度と望まない。愛など・・・だから・・おれを・・・おろかなおれを・・・おいていかないでくれ・・・・・・
たのむ、から」

 
 おとこの言葉は最後までは聞こえなかった。アルフォンスはおとこから視線もそらすことができなかった。こんな慟
哭を、確かにどこかで聞いたことがある気がする。
 
 
「今でも、夢に見る。弟を犯す自分を。私は叫ぶんだ。やめろ、弟にそんなことをするな、頼むからやめてくれ、
弟を殺すな、と・・・!
 ・・・・でも終わらない。それは夢どころか、過去にあった紛れもない現実なんだ。私は、弟を」

胸が痛い。骨が折れてしまいそうに握りこまれた掌よりも、心が先に悲鳴を上げた。
「レイバーさん・・・。」
「弟を殺した・・・・エヴァ・・・」


ああ、絶望の鏡がこんなところで顔をもたげてる。
ボクの選ばなければならない、その先が。

握られていない、左手を伸ばす。
その震えている塊を、力いっぱい抱きしめた。

 
 
 
 






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