|
6
ばしん
と、手もとのファイルを机に叩きつけた。いらいらと時計を見る。
アルフォンスがロイマスタングの部屋に呼ばれてから30分。戻ってくる気配はない。すなわちエドワードの仕事が進
む気配もない。
アルフォンスが補佐としてつく以前の不安定さが戻ってきたような気すらして落着きを失った。
血の気を失った青年の顔を思い出す。
なんで、何が・・・。
「エドワード君、休憩はまだだけど・・・。」
「わり、ちょっとトイレ。」
アルフォンスが補佐についてから、自分がひどく安定していることをエドワードは自覚していた。
それは青年が自分の過去を知っていて、それをきちんと教えてくれるからかもしれないし、仕事を全面的に助けてく
れるからかも知れない。
全面的に信頼のおける、補佐役。
でもそれ以上に、おそらく自分がアルフォンスといることで安心するのは、アルフォンスの雰囲気によるものだというこ
とも痛いほどわかっていた。
青年らしいたくましさや朗らかさの中に、優しさや子供らしさを垣間見る。
にっと笑うと屈託もない少年のようなのに、時には虚無を感じさせるような笑みをこぼした。
底の見えないほどの深淵や、暗い哀しみを知っている、とでもいうような。
そして
そして、エドワードが不思議でたまらないのは、アルフォンスのといるときの、居心地のよさだった。まだともに仕事を
して一か月もたっていないのに、アルフォンスは事あるごとにエドワードの行動を見抜いているような節がある。
エドワードの雰囲気で、表情で、時には呼吸によってでさえも、次の行動を予測し、それに対応する。
いったい、アルフォンスがどうして自分をここまで理解できるのかはわからない。だが、少なくとも自分はあの青年に
救われている。
自分の視線を避けた青年の、一瞬の悲壮な表情を思い出す。
自分はアルフォンスを支えることができていないのだ、と思った。
舌打ちする。
「なんだよ・・・」
少しは頼れよ・・・とつい言葉をこぼす。
そうしてから、まるでだだをこねる子供のようだと自嘲した。
足が自然、マスタングの執務室に向かっている。
一体アルフォンスをあんな状態に追い込んだ原因はなんなのか、そればかりが気になった。
たとえ戦地に送られても顔色一つ変えないような青年をあそこまで追い込んでしまうこと。
部屋の前に来た時、あまりの静けさに驚く。中からは話し声もしない。
「なんだ、出てったのか・・・?」
何かの事件が発生したのだろうか。エドワードは何気なく扉に手をかけて押した。今日は帰ったほうがよさそうだ、そ
んな風に考えながら。
だが部屋の中には、人がいた。
二人。扉を開けたとき、エドワードは部屋の中の人の気配に咄嗟に動きを止めた。物音も立てずに隙間から覗く。
頭の中で、腐っても軍人なんだな、と苦笑する。
次の瞬間、その苦笑は一瞬でかき消された。部屋の中の人影は一つに重なっている。
一人は黒い革張りのソファのそばに立って、ソファに座る人物を抱えるように抱きしめている。一人はソファに座って、
向かいの人物の軍服の裾を、すがるように握りしめている。金髪の、短い髪の毛が軍服に埋もれていて、表情が見 えない。
ロイマスタングとアルフォンスだ、と認識したとき、動悸が急に激しくなった。
そういえば、おかしいじゃないか。アルフォンスは家政婦みたいなものだといっていたけれど、30過ぎた大の男が、
妻も取らずに男と住んでいるなんて。本当の家族でもないのに。
自身の激しい戸惑いに、エドワードは困惑した。鼓動の音がうるさい。この扉を開け放って、大きな声でどなり散らし
てやりたい衝動に駆られる。
だが、アルフォンスが言葉を発したとき、かろうじてその衝動を抑えた。
「大佐・・・すみません」
「かまわん。たまにはこんなアルフォンスもいいかな。」
と、マスタングが笑った。
それは決してマスタングが軍部では見せないような笑みだった。暖かく、いつくしみにあふれているような。
「今日は帰れ。仕事にはならん。」
「・・・はい・・・」
意を決したように、アルフォンスが立ち上がった。ドアから伺った様子ではわからないが幾分落ち着いたように見え
る。
「ああ、こちら側からのドアから出れば近い。帰って本でも読んでることだ。眠らない方がいいな・・・夢をみる。」
「はい。」
額の汗をぬぐった。
「少し、落ち着きました。呼び出してくださってありがとうございました。あのまま顔を合わせているのは、さすがにちょ
と辛くて・・・」
アルフォンスがうつむいて顔をゆがめたとき、マスタングがアルフォンスの唇に、触れるようなキスを落としたのが見え
た。
ドアを蹴破って中に入っていきたい衝動に襲われる。だがそのあと逆にアルフォンスがマスタングにしがみつくように
抱きついたのを見て、一歩後退した。
頭痛がする。自分がひどく傷ついていることに狼狽した。
しばらくドアにもたれかかっていると、アルフォンスが別のドアから出ていく気配を感じた。
自分ではだめだろうか、という考えがよぎる。ここでアルフォンスを追いかけて、アルフォンスが恐れているものを少し
でも取り除くことができないかと。
だがそこでエドワードにかかった声は一番聞きたくない声だった。
「のぞき見するな、趣味の悪い」
「・・・見たくて見たわけじゃねえ。」
むしろみたくなかった、と心の中でつぶやく。ドアを開けて、マスタングと対峙した。上司はすでに先ほどのやさしい気
配を奥に潜ませ、すっかり軍人の顔をしている。
「あいつは・・・なんかあんのか。その・・・過去に」
「俺は補佐されてんのに、あいつだけ俺を支えててなんか卑怯だろ、俺にだって弱みを見せればいいのに。」
「傲慢だな。お前はあいつの支えにはなりえんよ。」
ゆっくりと。視線を上げて、その中に自分の上司の顔をとらえた。
じゃあ、自分は救えていると?
アルフォンスと関係を持つことで?
「てめえ・・・俺にはできないってのか、あいつを支えてやれないと」
「できないに決まっているだろう。お前にはあれを救えない。」
ぎりっと奥歯をかみしめた。感情の渦が、こみ上げる。目覚めたとき確かに失っていたはずの想いが流れ出す。
「救う・・・!!」
エドワードは、叫んだ。自分の中にこんなにも強い感情があることをその瞬間まで知らなかった。記憶を失って、無機
質のベッドの上で目覚めてから今まで。
自分の中のもう一人の自分が叫んでいる。
アルフォンスを守りたい。
アルフォンスの笑顔が浮かんだ。
わかっている。
あの青年の過去には、何か重大な出来事があったこと、その出来事にアルフォンスが今でもさいなまれ続けているこ
と。
ああ、わかっている・・・!
ちょっとしたしぐさの中に、表情の中に、笑顔の中にさえ、一緒にいるこちらが泣きたくなるような奥行きの深さをあい
つはもっている。守りたいと思うのに、役に立ちたいと思うのに、守られているのは決まって自分だ。
おれはあいつにどんな瞬間も癒されて、守られて、救われている・・・!
「俺が・・・!オレが、あいつを救う!あいつがオレを救っているように。オレの全部をかけて、オレが、あいつを守る。」
今度こそ、とは、エドワードの脳裏に閃いたか閃かなかったか。
ただ熱い、と思った。目頭が熱を持ち始めて、感情が腹の底から震えた。
きっとアルフォンスは助けを求めている。
目の前の黒髪の男はじっとエドワードを見据えていた。
窓から光が差し込んでいる。ここからではマスタングの表情が逆光で見ることができない。
「救えないよ、絶対にな。」
エドワードが目を見開いてマスタングの目を見た。先ほどまでとは打って変わって、黒い苛烈な視線に射抜かれた。
その視線に背筋が冷めた。圧迫するような怒気。
マスタングが軽く眼を閉じる。次に目を開いたときには、道端のごみでも見るような表情になっている。
「お前にだけは、アルフォンスを絶対に救えない。」
|