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時々、記憶が混同する。自分がここにいていいのか、わからなくなる。
「ここにいろ」
と、あの人はいっているけれど。
鏡を見て、首筋を確認する。何もないことを知ると、「よし」を小さく声を漏らした。
手を洗おうとしたとき腕の内側にやっぱり赤い点を発見して、また溜息をついた。
袖をしっかり伸ばして、執務室に戻る廊下を出ると、声をかけられる。
「アルフォンス君!ちょうどよかった。」
「はい?」
振り向くと、眼鏡をかけた小柄な男が立っていた。長い茶色い髪の毛を後ろに一つにまとめている姿にはっきり記憶
がある。
(軍部の監査・・・)
無意識に眉をしかめた。
男は苦笑して、そんなに嫌がらないでほしいな。と、言ったけれどすぐに気を取り直したらしい。
「ちょうど君の所に行こうと思っていたんだよ、手間が省けた。今日もちょっと話を聞きたいんだけどいいかな、君のお
兄さんの事件について。」
ああ、もうお兄さんじゃなかったね、悪い悪い。
と笑って、頭をかく。アルフォンスは気をそらすために、ふと男から目をそむける。
できれば目の前から立ち去りたい。
だけどそんなことは出来ないことも分かっていた。自分と、兄を今でも生かしているのはほかでもない軍部だ。
「できれば今日は検査もしたいんだ。なに、軽い血液検査だよ。」
「・・・わかりました。」
「通常業務については、一応上には通してあるから大丈夫だよ。」
「はい」
と、自分でも驚くほど小さな声が出た。
いつも行くのに、どうしても監査室は好きになれない。無機質で、くすりの匂いがする。兄が拘留されていた、あの部
屋に似ていると思う。
通された部屋は小さな机と、椅子が向い合せに置かれているだけの小さな部屋だ。壁にある大きな鏡を見て、心の
中で重い溜息をつく。
男は、ドアから遠いほうの椅子に機敏な動作で腰かけた。
自然にアルフォンスも向かい側の椅子に腰かける。
「じゃあ、始めようか、アルフォンス君。君たちが人体錬成に成功した後、君はお兄さんと引きはがされて軍部に拘留
されたんだね。」
「それは、先日もお話したと思いますが。」
「・・・君は事情聴取というものを受けたことがあるかい?何度も何度も同じ証言をおんなじ証人からきかなくちゃいけ
ないんだよ。我々聞く側からして見ればなかなか骨が折れるんだが・・・。だがそうして証人の記憶を呼び起こして、 明確なものにしておく。人間の記憶とはあやふやなものだからね。」
アルフォンスは心もち顔を伏せた。これは証言や検査を拒否するには骨の折れる相手だと心の中でつぶやく。
「で、君たちの人体錬成の情報はどこから漏れたんだろうね。」
「わかりません・・・ただ人間の体に戻って目が覚めた時にはもう、軍の研究室にいたように思います。」
「そこではどんな検査を?」
男の顔を見る。心なしか、声が弾んでいるような気がした。
「・・・主に薬物検査でしたが・・・。血液検査や身体検査、多すぎてよく覚えていません。」
「ああ、いいんだ。そこらへんについてはデータが残っているからね。」
じゃあなぜ聞くんだ。
と、膝の上に乗せた拳を強く握りこむ。
記憶が瞼の裏から蘇ってくるようで、何度か瞬きをしてやり過ごした。
引きずられるようにして、連行されたのを覚えている。
取り押さえられて骨と皮だけのような腕に薬物を注入されたことも。
あのとき軍服を着た男にあざができるほど強く掴まれた、意識が飛んでしまうほど薬を投与された左腕を、右腕で掴
んだ。
「で、君のお兄さんが軍に姿を現したのは君が意識を取り戻して何日目だったかね。」
「2週間目です。」
「正確には、何日目かな」
「・・・11日目です。正確な時間は覚えていません。」
「ああ、君はあの時、心肺停止していたんだね。たしかK-51という薬を投与されて、11:32意識混濁、11:48心肺停
止。」
ぺらぺらと書類をめくる音が煩わしい。男の顔を見据えてみる。
アルフォンスの視線に気づいた男は薄く笑って、片肘を机についてその上に顎をゆっくりと乗せた。
「君は実に38分間心肺が停止していたことになる。どうして生きているのかが不思議だな。」
「・・・」
「で、12時半過ぎ・・・君のお兄さんが君を救いに“襲来”した。ああ、まったく。時間が正確に残っていないな、何せあ
の時研究室にいた人間は全滅だからね。本当に見事なものだよ。何人殺したと思う?15人だよ、アルフォンス君。君 ひとりの“死”のために・・・。本当は君は死んですらいなかったのにね!」
と、声を上げて愉快そうに笑う男の顔を信じられない心境でまじまじと見た。
きっと自分の顔は真っ青になっているに違いない。
研究室の、あの時の情景がよみがえる。
かろうじて開いた瞼の外で、赤く染まった兄がこちらを振り向いた。
次の瞬間には軍服の青い塊が兄を取り押さえているのが目に入る。
大きな声で兄を呼んだ。
のどが痛い錯覚に襲われて、思わず喉に手をやる。
「血の気が引いているところ申し訳ないが。」
は、と息を吐いて向かいの男を見つめた。口の端が上がっている。吐き気がした。
「今日は帰ってくれて結構だよ、隣で血液検査を受けてくれ。ちょっとした薬物反応の検査もあるけどね。」
「あれ、アルフォンスはどこ行った?」
エドワードは、自分が目を通していた書類から顔を上げて部屋を見渡した。昼食に出て行ったはずのアルフォンス
が、3時間以上も帰ってこない。
「おい、アルは?」
と聞くとなぜか少し間をおいて、監査部に呼ばれている、という返事が返ってきた。
「監査部・・・?、おれ、何かしたっけ?」
上司が苦笑した。
エドワードの中では、アルフォンスは何か問題を起こすはずがなく、もしアルフォンスが監査部などに呼ばれるとする
ならばつまり、それは自分がらみのはずだと当然のように思っている。
いつもどおり机の上に置かれている書類に目を通す。
いつもなら、アルフォンスが書類の概要を説明してくれるのだが、今日はそれがないために仕事がなかなかはかどら
ない、そして落ち着かない。
仕事ははかどらない上に、なにかもやもやと不安定な気持ちになった。やきもきして、監査部に迎えに行こうか、と思
ったころ、アルフォンスは帰ってきた。
「お、アル!」
部屋に入ってきたアルフォンスの顔を見て、エドワードは言葉を失った。
「・・・お前、どうした?」
見たこともないほど血の気を失って、顔面蒼白になっている。エドワードをちらりと確認するように見たとき、アルフォン
スはあからさまに目をそらし机につこうとした。
「アルフォンス君、大佐が呼んでたわ。戻り次第来るように、だそうよ。」
「・・・はい」
返事に力がない。それ以上に自分が避けられている気がして、エドワードはアルフォンスの肩をつかんだ。
「なんかあったのか」
アルフォンスの振り向いて見つめ返してきた顔が、悲壮に歪んでいる。
放してくれと訴えかけられているようで思わず手を離した。
「すぐ戻るよ・・・」
こぼすように呟いて部屋をでていく。
走って追いかけようか、と一瞬迷ったけれど、振り返った時の青白い顔が浮かんでやめた。
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